邪馬台国の有力な候補地とされる奈良県桜井市の纒向(まきむく)遺跡で見つかった大量の桃の種の年代を測定した結果、
女王・卑弥呼の時代と重なることがわかりました。邪馬台国の謎に迫る新たな資料として注目されます。

纒向遺跡は、3世紀から4世紀にかけての大規模な集落跡で、邪馬台国があった場所の有力な候補の1つとされています。

遺跡では、8年前、卑弥呼の宮殿跡との説もある3世紀前半の大型建物跡のそばで、桃の種が2000個以上見つかりました。
この桃の種を、名古屋大学の中村俊夫名誉教授と元徳島県埋蔵文化財センターの近藤玲さんが、
それぞれ放射性炭素を使った年代測定を行ったところ、
いずれも西暦135年から230年の間のものの可能性が高いことがわかりました。

卑弥呼は中国の歴史書「魏志倭人伝」で、3世紀前半ごろに邪馬台国を治めていたとされ、
今回の結果は卑弥呼の時代と一部、重なっています。また、桃は古くから神聖な果物とされていたことから、
卑弥呼が行った祭しで供えたのではないかという指摘もあるということです。

桜井市纒向学研究センターの寺澤薫所長は、「魏志倭人伝の記述にある卑弥呼の時代と重なり、
纒向遺跡について考えるうえで重要な資料だ」と話しています。

■邪馬台国九州説の研究者「卑弥呼 明確には結びつかず」

邪馬台国が九州にあったとする説を唱える、佐賀女子短期大学の高島忠平名誉教授は、
「参考になる研究成果だが、邪馬台国の所在地や卑弥呼と結びつく明確な材料はなく、
今回の成果で論ずるのは無理があるのではないか」と話しています。

関連ソース画像
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NHKニュース
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20180514/k10011438091000.html