【考古学】国宝「金印」再現なるか? 鋳金・考古学者らが実験…失敗 古代技術の「謎」解明へ再挑戦[04/17]
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福岡市東区の志賀島で発見されたと伝わる国宝の金印「漢委奴国王」の製作を再現する実験が始まった。
取り組むのは「九州鋳金研究会」に所属する鋳造技術や考古学などの専門家たち。
古代の金印がどのように作られたのか、いまだ詳しいことが分かっていない謎の解明への挑戦だ。
3月末、福岡県宗像市にある福岡教育大の鋳造室。九州鋳金研究会会長で、
鋳金が専門の宮田洋平教授(58)が溶解炉を熱していた。地金を溶かす「るつぼ」が炉内にある。
木炭を炉に入れると、火の粉が高く舞い上がり、真っ赤な炎は勢いを増した。
国連教育科学文化機関(ユネスコ)の「世界の記憶」への金印の登録を目指すNPO法人
「志賀島歴史研究会」(福岡市東区)の要請を受け、九州鋳金研究会は金印の製作技術の研究を始めた。
昔の官印に関する文献を踏まえて工法を検討し、古代中国でも行われた蝋(ろう)型鋳造法を採用。
金属を溶かす熱源は、現代ではコークスを用いるのが一般的だが、当時の工法に近づくため、木炭を使うことにした。
鋳型は、宗像市の鋳物師、遠藤喜代志さん(68)が製作。
福岡市博物館にある金印のレプリカを参考に、蜜蝋と樹脂を混ぜて原型を作った。
実物よりわずかに大きくしたのは、後で加工するためだ。
□ □
歴史研究会のメンバーや福岡市博物館の学芸員など合わせて約30人が見守る中、実験が進む。
火入れから約1時間。炉内の温度が千度を超えると、地金をるつぼの中へ投入した。
金の含有率は実物と同じ。湯口まで満たすため、地金は実物よりも約90グラム重い。
15分ほどで地金が溶けた。炉内の温度は1188度に達していた。
地金を鋳型に流し入れると、オレンジ色の液体は急速に赤みを失って固まった。
さらに1時間後。宮田教授が冷ました鋳型を木づちで割ると、砂まみれの金印が現れた。しかし…。
「残念ながら失敗です」と宮田教授。金印の印台の一部が欠けていた。
宮田教授によると、熱源に使い慣れていない木炭を使ったことで
、地金が十分に溶解せず、湯口に近い部分まで行き渡らなかったようだ。
当初は金印を鋳造後に印面に篆刻(てんこく)する予定だったが、その手法を含めて製作法を再検討し、
実験は原型作りからやり直すことになった。ただ、古代の技術解明のためには、
失敗を追体験することも大切なことかもしれない。
九州鋳金研究会は、志賀島歴史研究会が10月に開く金印シンポジウムで一連の研究成果を報告する予定。
歴史研究会理事の岡本顕実さん(74)は「金印を技術的に検証し、製作法が明らかになれば、
世界の記憶登録への追い風になる」と期待を寄せている。
【ワードBOX】国宝金印「漢委奴国王(かんのわのなのこくおう)」
江戸時代、志賀島で農民が発見したと伝わる。古代中国の史書「後漢書」に、
後漢の光武帝が57年、福岡平野にあった奴国の王に印綬を与えたと記され、
「漢委奴国王」と刻まれた金印のことだとされるが、偽物説もある。一辺2.3センチ。
重さ108グラム、金の含有率95%。福岡市博物館所蔵。
関連ソース画像一覧
金印の製作を再現する九州鋳金研究会のメンバーたち=3月30日、福岡県宗像市
https://www.nishinippon.co.jp/import/national/20180417/201804170007_000_m.jpg
溶かした金を鋳型に流し込むと、あっという間に固まった
https://www.nishinippon.co.jp/import/national/20180417/201804170007_001_m.jpg
九州鋳金研究会が作った金印。湯口に近い部分が欠けている
https://www.nishinippon.co.jp/import/national/20180417/201804170007_002_m.jpg
関連ソース画像
【考古学】本物か?国宝の金印「漢委奴国王」で研究者がシンポジウムで激論[18/1/21]
https://www.nishinippon.co.jp/nnp/national/article/409269/
西日本新聞
https://www.nishinippon.co.jp/nnp/national/article/409269/ 当時の技術で作れないということはつまり、それは後世に作られた捏造品だと考えるのが一番理にかなっているな。 そもそもオリジナルは、鋳造なのか鋳造後に篆刻なのか。
それ不明なままなら意味なくね? そもそも同時代に作られたと明確にわかっているもので、
同じような造形物はあるのか?
全くないなら、後世の捏造の可能性が高いが? 川口の残り少ないベーゴマ職人にお願いしたら、一発だっんじゃね? >1 ・・201804170007_000_m.jpg
無駄に立ち上る炎が大きすぎるのではないか。空気量が足りないとか。
(一種のパフォーマンスだと考えているのかも) これって物証は九州から出てるのに、偽造だとか言って認めないんだよな
考古学は物証じゃなくて感情で歴史を作ってるわかりやすい事例だ >>9
出土状況が不審なんだよね。
1.大切なものなんだろうから、袋に入れた上、上等な箱に納める
くらいのことをしてもよさそうなものだ。
2.「敵対勢力」が奪い取って、外装は焼却してしまったとしても、
「金の固まり」をポイ捨てするだなんて、ヘンだろ。
出自がわからないように加工してから売り飛ばす。それが
人間のやりそうなことだ。
3.野原を田圃に変えるには、たいへんな労力・時間がかかる。
何度も土木工事をしたり、耕したのだろうね。
立派な田んぼになった後で、ポイっと見つかる。ヘンだよ。 >>6
古代人に二級酒なんて作れないだろ。
それがなきゃ川口の職人と同じ方法でやってたはずとか言えん。
>>11
精錬やメッキじゃないんだぞ、鋳造で水銀なんか使うか?
>>9
考察する人の 宗教や思想、氏育ちの影響が大きい
公正で客観的な考察はほとんど無いと思っていい。 >>14
そういう考えもどうかと思うけどね
で、結局の所、どっちが主流、或いは多数派なの?
個々が客観的で無くても全体で見れば概ね正しい判断はできるわな >> 宮田教授によると、熱源に使い慣れていない木炭を使ったことで
>>、地金が十分に溶解せず、湯口に近い部分まで行き渡らなかったようだ。
幼稚な失敗で、論外ですよ。
同時代の別の金印との比較検討をやったとは思えない幼稚な実験。 >>3
> 当時の技術で作れないということはつまり、それは後世に作られた捏造品だと考えるのが一番理にかなっているな。
いやいや
逆の発想も出来るが。当時の技術で作れないって事はむしろ本物だという証明になる
それに発見自体大分昔で最近の話じゃ無いぞ
なんつうのか、同じ記事でも先入観や思想の違いで全く新逆に見る人が多いんだなあ、って痛感するよw ('A`) /☆ ピコーン 3Dプリンターで鋳型を造ろう...バレるかな? 鋳型の上下間違ってないかい。印面が上だろ、後で削って平らにしろと。 なんだろ、この検証とも言えない杜撰さ
考古学とか学芸員とか、実験手法の検討すらせず
ヤッテミタだけで良いの? >13 >精錬やメッキじゃないんだぞ、鋳造で水銀なんか使うか?
金を熱で溶かすのでなく、水銀にとかしてアマルガムにして型に押し込んで
作るのだよ。(昭和には銀歯作ってたやり方)あとは水銀だけが蒸発して
固くなるのを待てばよい。ツタンカーメンもこのやり方 タダの不器用だと思います。
5・6回やればコツをつかめるだろ 「再現」だから難しいんだよ
遥かに「良い」ものならば直ぐに作れる
全く同様に「下手」なものを作るのは、非常に難しい 再現は難しい この結論ありき
コレを導き出すための実験だからw 始皇帝の時代には墓に大量の水銀を使っていたので金のアマルガムの知識はあったのかもしれない。
健康被害はとんでもないことになるだろうけど。 >>31
始皇帝の時代には水銀は健康食品の一種だったので
皇帝すらも水銀中毒で死ぬ時代 金印より勾玉の方が不思議やろ?
石にあんな小さい穴どうやって開けるねん?それもひとつじゃなく大量に 周囲から関連史跡がまったく出土していない時点で詰んでるんだけどな
黒幕は金印を守った功労者とされる江戸時代の儒学者「亀井南冥(なんめい)」
この人私塾や自宅に二度も放火されてたり怪し過ぎるんですけど… 漢委奴国王印、
漢委奴・・・読み、ハンイヌ。
漢のイト国。
羽犬塚 >>34
石英の粉をまぶした棒を、火を起こす時と同様、ドリルみたいに回すと言う
気の長い作業をすると、同じガラス質の宝玉には穴を開けることができる。 >>34
こないだ糸魚川のヒスイ産地にある長者ヶ原遺跡に行ってきたけど、孔開けの途中や失敗した勾玉遺物が展示してあったよ
金印についてはいまのところ鈴木勉氏の偽作説がいちばん説得力がある 2000年前の人間が作ったものを現代人が作れんとなwwww 真剣さがたらなかったんだろ
漢の皇帝の前でこんな失敗してみろ
たちまち死刑だ >>1
捏造疑惑がかつてから有ったからね(ユネスコ)の「世界捏造記憶」に為りませんように。 ユネスコ歯、北朝鮮捕獲開発を支援していたから、
制裁対象で。解散処分になる。 江戸時代に田んぼでおっさんが
見つけた
嘘くさい話だ 鋳金したってことは含まれる水銀がアマルガム法より極端に少ないことは分かっているのでは。 >福岡教育大の宮田洋平教授(58)
税金でお遊びとはいいご身分だな。 漢帝国が国家の威信をかけて国営工房で鋳造したものだから、おいそれと模造はできないよ。 漢代の印璽は最近になって研究が進んで、
志賀島の金印はその様式と極めて合致するって分かってきてるよ。
江戸時代に偽造出来たらむしろその方が驚異的。 志賀島で作られたかのように感じる記事だな
けど志賀島の金印は与田ちゃんだろ 中国では、金印が本物であることを
微塵も疑ってないんだよな。 >>48
偽造は出来るかもしれんが、こんだけの純金をこんなお遊びに使ってただ畑に捨てた人間が居たとは思えん >>52
技術的な問題じゃないよ。
様式、字体なんかを模造する事が困難。
江戸時代にはその情報が圧倒的に欠けてるから。 写真見ると鋳造が下手くそとしか言いようがねえ
実物の金印が108gなのに対して200gしか溶解してないんだろ
どう考えても素人がやってるぞ 鋳物師に鋳型製作頼んだんなら、鋳込みもそのままやってもらえよ。なんで素人の教授がやってんねん。道楽じゃねえか。 >>5
中国で同じような金印がいくつか出土しているよ
>>22
だから、精錬やメッキじゃそうしてるけどさ、
鋳造でそんなことしてるのかってこと。
ツタンカーメンの製法は鍛金(つまり打ち出し)説でほぼ確定している。
金印もツタンカーメンもそんな製法なら残留水銀が検出できそうなもんだな。
>>51
そりゃまあ自分とこで作ったもんだからな
必死で否定してんのは半島の連中でしょ 金印が発見された時代
本居宣長
「日本の天皇が中国に朝貢した歴史などあってはならない」
金印が国宝になったのは昭和6年、満州事変の年
軍部
「日本の天皇が中国に朝貢した歴史などあってはならない」
つまり九州に那国があれば邪馬台国は九州になる。
ならば古代天皇や大和朝廷は中国に朝貢していないという事になる。
そのための偽装だ。
黒幕は江戸幕府。
どこから出たことにするのかが一番悩んだであろう。
仕方がないので志賀島。 >>1
これねつ造だろ?
金印の意匠が当時の人々の想像力の範疇内
ノストラダムスの大予言で1999年頃に破滅的な事態起きる…と考えた1980年代の日本人以前の人たちなんだから、仕方ないとは思うけどね >>10
出土したとこは野原じゃない
海沿いの山の斜面の棚田だぞ
それに立派な田んぼにもなってない
水の流れが悪いから田んぼの縁の溝の形を変えようとして岩をどけたら見つかった
>>53
字体が新しいことが模造の論拠の1つになってるんだよな >>64
鋳型作成までプロの力を借りたのに、最後に金属を注ぐところで、
素人が替わって作業してしまったので、温度管理が適切に行えず、
湯(溶けた金属)が、鋳型の隅々まで回る前に固まってしまって、
一部が欠けたものしかできなかった。すなわち失敗。
鋳型は1回作るごとにパーなので、またやり直し。
原型は残っていると思うんだけどね。 金印の持っている情報からすれば、本物と見てまず間違いないよ。
偽物の可能性が有るなら、本物を見ながら作ったレプリカの場合だけだろう。
ただその場合、本物の金印を所持し、
現代でも再現の難しい金印のレプリカをこっそり作る事の出来た人物って誰だよとなるけど。 >>15
どっちが多数派って言ってもねぇ。
戦後の言論空間の中で戦前の説は否定してきたよ。確たる証拠もなしにね。
なんとなく戦前説は否定しなくてはいけないって雰囲気のなかで,多数派
というのも怪しすぎるよ。
最近,科学的検証の発展に期待するしか無いんじゃないか。 >>67
これこれ
金印の持ってる情報が過不足なく想定通りすぎる
だから、想像力の範疇なんだよ >>70
蝋で形作って砂に埋めて溶かした金を流し込むだけでできるゾ
金印が見つかった当時はヤマタイ国ブームで知識があったし蝋の材料であるハゼも庶民が手に入れられたゾ
ちなみに当時の庶民は自分で砂鉄を採ったり打ったりできる程度の技術はあったゾ >>60
国学の隆盛期とは50年ほど時代がズレてるよ ピラミッドだって現代人は作れない
古代人を侮るなよ 美術工芸教室 鋳造
石膏で原形を作るーー石膏をかぶせて割型の外型を作るーー蝋を流し込む
蝋原形に砂粘土をかぶせるーー過熱して蝋を流すーー溶融金属を鋳込む
このロストワックス法は中国では2500年前春秋戦国時代からやっていたと言われる。
精巧な小鋳物、それをハンダ付けした複雑な青銅器、金銀宝石を象嵌したものもある 最近だと発砲スチロールをNCで削って原型作って砂に埋め、
そのまま溶けた金属を流し込むと発砲スチロールが溶けて縮んで
蒸発してなんて方法があるらしいな。 ぶっちゃけ技術の歴史には興味ないが単純な鋳造技術としては興味あるな
蝋で作った模型を砂に埋めて熱した金を流し込むと蝋が溶ける
蝋は金より比重が大幅に低いから溶けた蝋は上に向かって流れ、金は底に向かって流れる
最終的には蝋と金が入れ替わるという仕組みなのかな?
金の融点が1064℃らしいけどこれだと蝋が熱分解して炭になるだろ
おそらくこれは鉛や錫、青銅のような融点が低い金属向けの鋳造技術であって金には不向きだろう
当時の人間にはそんなことわからないからトライ&エラーで解決させたのかも知れんね
おれなら蝋と金の置換の間に錫を挟むな >>76
歯科の鋳造なんかだと、湯口をつけた原型を石膏などに埋没して、
その後、湯口を下にして焼成し、反転した後に湯を注ぐらしい。指輪なども同様みたいだ。
懸念するほどカーボンとかは残らないみたいです >>76
ロストワックスっていって精密鋳造によく使われる方法だよ https://i.imgur.com/u9N1LAs.jpg 漢魏晋時代の金印だが、印台と鈕は一体でなく
別に鋳造してハンダ付けしてある。 金の融点は1000℃以上だが、錫20%の金ハンダは
300℃でハンダ付できる 三種の神器も、再現してみたらどうかね。
今現在三種の神器として継承されているものは、
実は本物は失われていて、どれも模造品なんだろ。 例えば現代の500円玉を、あるいは天皇金貨1万円玉を、
鋳型を作って、精密鋳造でそっくりの形に作れますか? >>81
現代の硬貨はどうやって作るか分かってての書き込み? >>18
型作りした事ないと分からないだろうけど
3Dプリンターで作れば簡単になる訳じゃないよ >>56
素人は流し込んでるだけにしか見えないんだよな…
丁寧に流し込まないと気泡が入るし原型の形を意識して流し込んでるのが分からないんだよ >>70
最近の研究や中国で出土した資料と合致する物を
当時の日本人が何で知ってるんだよ?それこそオーパーツだわ 研究費で金印を模造するための金を買って、実験して失敗したら、
ゴミになったその失敗作は棄てても良いんだよね。うまいな >>80
再現しようにもオリジナルの形状が分からない
八咫の鏡だけは同型と思われる鏡が平原遺跡から出土して現存しているが なぜ福岡の平原に鏡の原型が? 大和朝廷は近畿で成立したのではないのか? 古事記の原本も怪しいしな。
名古屋で保管されてる国宝といわれる原本も、シミ一つ無いもので古さが全く感じられない。
1000年保管されていたようには思えない代物。 >>91
神武天皇は九州から来たって記紀にも書かれてるじゃん ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています