【考古学】壁に竹林の七賢図、昭明太子の墓か 異例の規模に脚光 詩文集「文選(もんぜん)」の編纂)者皇帝陵の規模に匹敵[02/17]
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中国江蘇省南京市で、墓室の壁に絵が描かれた大型の壁画墓がみつかり、
南北朝時代の南朝、梁(りょう、502〜557年)の皇太子、
昭明太子(しょうめいたいし、蕭統〈しょうとう〉、501〜531)の墓の可能性が高いことが分かった。
昭明太子は、日本の平安文学などにも影響を及ぼした詩文集「文選(もんぜん)」の編纂(へんさん)者として知られる。
中国で皇帝陵クラスの墓が発掘調査されるのは異例で、日中の研究者は注目している。
調査を指導した南京大学歴史学院の張学鋒教授(考古学)によれば、
南京市博物館考古部(現南京市考古研究所)が2013年1〜6月、南京市北東部で発掘調査。
れんがを積み重ねた大型墓2基(南京獅子沖南朝大墓)が出土した。
東側の1号墓の墓室は全長14・2メートル、幅6・4メートル。
西側の2号墓は全長15・2メートル、幅6・48メートル。
いずれの墓も大きく破壊されていたが、その規模は南朝のほかの皇帝陵に匹敵する。
墓室のれんがには壁画が描かれ、1号墓の壁には南朝皇帝陵で描かれることの多い
「竹林七賢(ちくりんしちけん)図」「羽人(うじん)戯虎図」があった。
「竹林の七賢」は3〜4世紀ごろの7人の知識人。
社会の混乱で儒教が衰えた一方で、個人主義や虚無主義的な論議(清談〈せいだん〉)が流行。
7人は自由奔放な生活を送り、竹林の中で議論するのを好んだとされ、七賢図は南朝で好まれた絵のモチーフとなった。
■画像一覧
1号墓の「竹林七賢図」の一部
https://www.asahicom.jp/articles/images/AS20180215000853_comm.jpg
「竹林の七賢」の拓本
https://www.asahicom.jp/articles/images/AS20180215000859_commL.jpg
1号墓の「竹林の七賢」の模写
https://www.asahicom.jp/articles/images/c_AS20180215000861_comm.jpg
2号墓に表現された空を飛ぶ仙人(飛仙)の壁画
https://www.asahicom.jp/articles/images/AS20180215000864_comm.jpg
2013年に発掘調査された大型墓(南京獅子沖南朝大墓)。右は1号墓、左は2号墓
https://www.asahicom.jp/articles/images/AS20180215000852_commL.jpg
昭明太子が生きた時代の東アジア
https://www.asahicom.jp/articles/images/AS20180215000867_commL.jpg
朝日新聞デジタル
https://www.asahi.com/articles/ASL1Z5QPBL1ZPTFC019.html 画像見たけど、秋元アナっぽい人がうっすら書かれてるね この前、天才向けのクイズ番組で、7人全員の名前を答える問題あったな
>>11
残念ですね。
このニュースは、昭明太子すなわち蕭統のお墓が見つかったということで、その弟は
日本のことを本に書いているのでちょっと期待しますよね。
良く分からない人に説明すると、この蕭統さんという人は、梁の武帝の長子です。
そして武帝の七男、つまり、昭明太子の弟が、梁の元帝の蕭繹さんです。
元帝(蕭繹)は、荊州刺史を務めていた西暦526〜539年頃に、『梁職貢図』を作っていて、
その図の説明図に、日本のことが書いてあるのです
なお、梁の昭明太子蕭統の三男が、蕭サツで、西魏政権の手によって後梁の天子として
即位させられて、おじさんの蕭繹と対立し続けました。というか、蕭サツというのが、
本当の敵であった西魏に国を売ったバカだったのです。 尤も、元帝も西魏の力を利用して、蜀の地を得たのですが、それがもとで、西魏に蜀を
与えてしまうという大失敗をしたのでした。
甥っ子の蕭サツは、首都江陵の周辺八百里だけを領土とする、名目上の天子に
祭り上げられて、おじさんの蕭繹をとっつかまえて、土嚢をいくつもおじさんの上に載せて
圧し殺してしまいました。
なんか北朝鮮みたいですね。怖いですね。ではサイナラ >>14
情報には感謝するけど、カチンと来る書き方は気をつけたほうがいいよ
もうちょっと、ポジティブに盛り上げようぜ >>16
中国人ってずっと変わらないって感心する。
内輪もめを優先するから。 >>16
はぁ?何か気に障った? >>14さんが知らないだろうとかって、かいたつもりはないんですよ。
何がかちんと来たのかわからないです。
むしろ、梁職貢図のことを知っていて、それを暗に言っているんだとおもったので、
>>14さん以外の人は、五世紀から六世紀の中国史について、日本との関係など
知らない人が多いとおもったので、その辺の歴史をよく知らない人に向けて、
淀川長治の映画解説を真似して、文章を綴っただけなのです。 >>15
蕭繹もなかなかの暴君だから自業自得だけどな 竹林の七賢人に新たに秋元優里が加わって八賢人になった MUwp49BU の海苔突っ込みに痺れて
口に釣り針引っ掛かった 5年前に発掘されてんのに今?
制作まで5年かかったとか これって浮き彫り?
一見地味だけど1,500年前にすごい技術だな 詩文がお好きだった陳舜臣先生が存命であればさぞや喜ばれたであろうな 「昭明」太子に「脚光」っていうダジャレかなぁ。
『文選』て曹丕じゃなかったか? と調べたら、曹丕が書いたのは『典論』だね。
『文選』に曹丕の書いた作品も収録されてるから無関係でもないけど。 早熟の天才だったが30歳くらいの時、水の事故が元で亡くなったけど、長生きしたとしても宇宙大将軍にぶっ殺されたかも知れん。
どちらが幸せだったのかねえ。 武帝が長生きしすぎだわ
梁ってほとんどこの人の治世じゃん 竹林の七賢者ってドラックをキメてた
ジャンキーって教わったけど 昭明太子が長生きしてたら宇宙大将軍なんか狂った小物のままで終わってただろうな。 21世紀になってから凄い発見が相次いでいてびっくりする。
2009年
曹操の墓と頭蓋骨発見
2011年
梁元帝蕭繹の『職貢図』で、失われたと思われていた題記(説明文)を、趙燦鵬氏が発見。
これは、張庚の『諸番職貢圖巻』という史料で、高句麗、新羅、倭国、百済の題記が含まれる。
とくに新羅の題記は新発見で、高句麗題記の一部は、日本にのみ残っている『翰苑』に欠
けている部分を補足できた。
2013年
蕭繹の兄の昭明太子蕭統の墓発見 お前らみたいな教養のないボンクラは文選とか読んだことないだろ 七賢人って反権力の人も結構いたんでしょ?なんで権力者から慕われてるんや? >>18
淀川さんを知らない世代だろうから気にすんな >>41
>曹操の墓と頭蓋骨発見
下顎にインプラントの痕跡が…… 中国における旧文化の取り扱いっていまいちわからないな 【朝日新聞デジタル】2014年8月5日05時00分
「済州島で連行」証言 裏付け得られず虚偽と判断
《読者のみなさまへ》
吉田氏が済州島で慰安婦を強制連行したとする証言は虚偽だと判断し、記事を取り消します。
当時、虚偽の証言を見抜けませんでした。
済州島を再取材しましたが、証言を裏付ける話は得られませんでした。
研究者への取材でも証言の核心部分についての矛盾がいくつも明らかになりました。
https://www.asahi.com/articles/ASG7L71S2G7LUTIL05N.html
【朝日新聞】2014年12月23日 朝刊37ページ 東京本社
記事を訂正、おわびしご説明します 朝日新聞社
慰安婦報道、第三者委報告書
http://www.asahi.com/shimbun/3rd/2014122337.html
【吉田清治】1996年(平成8年)5月2・9日付の週刊新潮インタビュー
『まあ、本に真実を書いても何の利益もない。
関係者に迷惑をかけてはまずいから、カムフラージュした部分もある。
事実を隠し、自分の主張を混ぜて書くなんていうのは、新聞だってやることじゃありませんか。
チグハグな部分があってもしようがない。』 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています