光秀は信長に、家康の接待に際して食べ物に毒を盛って殺害せよと命じたが、
その言いつけを失敗にみせかけて守らなかった。そうして家康に対して信長から
命を狙われているということを伝えた。それで家康は京都を出発してしまった。
信長は光秀が言いつけに背いたと思って激怒して罵倒したので、光秀は
いずれ信長によって邪魔になった自分も殺されてしまうはずだと確信した。
そこ思って悩んでいたが、まさに天佑ともいうべき形で命じられた毛利攻め
ための軍勢が自分の指揮下にあり、そうして信長は慢心して京都の本能寺に
手薄で宿営している、そのまたとない機会をとらえて本能寺に兵を向けた。
本能寺に向かった軍勢はその攻撃の対象者や意図を知らされずに単に命令に
従って動き攻めたのだった。信長様の命令で本能寺を攻めるのだとでも
言われてたかもしれない。