太平洋戦争末期、
戦艦「大和」とともに沖縄に向かいアメリカ軍の攻撃によって沈んだ
旧日本海軍の駆逐艦「磯風」と見られる艦船が鹿児島県沖の海底で見つかっていたことがわかりました。
専門家は、大和以外の艦船の調査は行われておらず、貴重な発見だと評価しています。

駆逐艦「磯風」は昭和15年に就役して真珠湾攻撃やミッドウェー海戦などに参加しましたが、
戦艦大和とともに特攻作戦で沖縄に向かっていた昭和20年4月7日、
鹿児島県の枕崎沖でアメリカ軍の攻撃によって沈みました。

大和について広島県呉市とともに潜水調査を行った大阪市の海洋調査会社によりますと、おととし5月の調査の中で、
大和が沈んだ場所から北東に9.5キロ、深さおよそ450メートルの海底で、
艦船1隻が沈んでいるのが見つかったということです。
これについて専門家は、撮影された映像や戦闘の記録などから「磯風」の可能性が高いとしています。

映像には4つの砲身をもつ魚雷発射管のほか、爆発でめくれ上がった艦尾や横倒しになった主砲も映し出されていて、
当時の戦闘の激しさがうかがえます。

旧日本海軍の歴史に詳しい広島県呉市の大和ミュージアムの戸高一成館長は、
「記録に残る被害状況や沈没場所をつきあわせると磯風でほぼ間違いない。
大和以外の艦船の調査は行われておらず貴重な発見だ」と話しています。

〈磯風は数多くの作戦に参加〉

旧日本海軍の駆逐艦「磯風」は、長崎県佐世保市の旧海軍工廠で建造され昭和15年に就役しました。
全長はおよそ120メートル、基準排水量は2000トン余りです。

広島県呉市の博物館「大和ミュージアム」によりますと、
磯風は、真珠湾攻撃をはじめミッドウェー海戦やレイテ沖海戦など旧日本海軍の数多くの作戦に参加しました。

昭和20年4月、戦艦「大和」など、ほかの9隻とともに特攻作戦で沖縄に向かいましたが、
アメリカ軍の攻撃によって大和や磯風を含む6隻が鹿児島県枕崎沖で沈みました。

大和は戦後、呉市や民間団体が潜水調査を行ったため沈没した位置が判明していますが、
磯風など5隻については、沈没した場所は特定されてきませんでした。
今回、大和以外の艦船の沈没位置がわかったのは、初めてだということです。

磯風の調査にあたった「深田サルベージ建設」の花戸忠明中国支社長補佐は、
「磯風以外にも見つかっていない艦船があるので可能であれば調査したい」と話しています。

NHK
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20180207/k10011319951000.html