【考古学】後漢の銅鏡、完全形で出土 福岡仲島遺跡、2世紀前半
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福岡市博多区の仲島遺跡で、2世紀前半(弥生時代後期)に中国・後漢で製作されたとみられる銅鏡が完全な形で見つかった。
市によると、弥生後期の銅鏡が割れていない状態で発掘されるのは珍しく、福岡平野では初めてという。
銅鏡は直径11・3センチで「内行花文鏡(ないこうかもんきょう)」と呼ばれるタイプ。
コウモリのような文様に、子孫繁栄を意味する「長宜子孫」の4文字が施されている。
さびもなく、鏡面に物がかすかに映るほど状態が良かった。
中国の歴史書「後漢書」には、107年に倭国(日本)が奴隷を献上したとの記述があり、
市は銅鏡と時期が重なることから「大陸との交流を考える上で貴重な資料だ」としている。
今年4月、弥生時代後期の土器と一緒に捨てられたような状態で出土した。
出土した銅鏡は12日から来年4月1日まで福岡市博物館(同市)で展示される
関連ソース画像
http://www.sankei.com/images/news/171209/wst1712090051-n1.jpg
産経新聞
http://www.sankei.com/west/photos/171209/wst1712090051-p1.html >今年4月、弥生時代後期の土器と一緒に捨てられたような状態で出土した
全然大事にされてなくてワロタw 「ナ」の人々が大事にしてたモノを、大陸半島から新たにやってきた連中(後世「ヤマト」と呼ばれた?)が、
「ナ」の人々を駆逐して、財貨を奪い、祭祀物を破棄したんだろう。
古代妄想には、楽しい材料が増えて嬉しいね。 >107年に倭国(日本)が奴隷を献上した
どういった人たちが奴隷にされたんだろうか こういうの、何で捨てられてるのかね?
中世の奴は、もっといい鏡がもらえたら古いのは捨ててるのか? <<どういった人たちが奴隷にされたんだろうか
戦争で負けた国の兵士や民衆が奴隷にされた。
海賊や山賊など、罪を負わされた人間も奴隷にされた。
今水軍料理と称して宣伝してたりするが、水軍は結局敗北して、
奴隷身分に落とされ、貧田に置かれた連中だから、
つまり奴隷料理ということだな。 この遺跡は、有名な板付遺跡の南東約1.5km、膨大なカメ棺の密集した金隈遺跡の南西約800m。
さらに、奴国の王墓がある須久や岡本から北東に約2.5kmという場所。
まさに奴国のど真ん中。
古墳からの出土ではないようなので、交易の中心地、それも貿易品をメインとした市(いち)のようなものがあったのかもね。 太陽のミニチュアとして、丸くてキラキラ光る鏡を異様に重視したのがアマテラス(太陽)信仰の日本人。いまでも御神体は鏡、神棚にも鏡 >>2
この世のものとは思えないそれはそれは恐ろしいものが映る >>12
勿論、倭でも奴隷と思われ。ちなみに、生口と記載されている。 >>5
向きが逆
西日本に住み着いた連中が国を作ってたので
東日本の連中が国譲りをしかけて大和朝廷ができた 今回の発見で「邪馬台国九州説」は確立したな!(すっとぼけ) 「捨てる」ということは無いと思うがな。
金属そのものが恐ろしく貴重な時代だったので、単にいらなくなっただけの金属製品なら漏れなく溶かされて、他の用途に使い回されていたはず。 >>20
生口は後代的な奴隷じゃないだろ
主人に尽くすことを強要されるという点で「奴婢」のほうがより奴隷的
生口は「献上」されているから高付加価値な存在と考えるべき 奴隷を献上して手鏡って現代じゃ考えられないな
とにかくこの時代の日本について記述された資料が見つかるといいな >>19
邪馬台国の時代から120年ほど前の遺跡だぞ 貴人、故人が姿を映していた鏡は、鏡の中から故人の霊が
迷い出てくるなどという考えがあって、そうならないように
死後に割ったという考え方がある。
昔は、正月15日になると、神棚に供えた鏡餅(サイズの大きな1組の餅)
を割った。これを鏡割りという。そうして割れた餅を竹竿の先に付けて
たき火であぶって焼いて食べて、一年の健康を祈るという行事があった。
これを鏡開きという。 もしかしたらこれも何か金属鏡と何か関係があった
のかもしれない。今でも神社はしばしば大きな丸い鏡を神殿に祭器として
持っている。 >>30
鋭い指摘!確かに鏡餅、鏡割りという行事に
「鏡」という字が使われているのは不思議! 生口を奴隷とするのは誤解を招くよね
広義ではそうかもしれんが、現代で言う奴隷とはやっぱ違うとしか思えんしな 人の姿を映した鏡を生け贄代わりにしていたり(ブードー教っぽい)、
新年が来たら前の年の古い鏡を割っていたりなどしていた時期が
あったりしたのではなかろうか? こんな綺麗に発掘されるなんて
見つけた人は神の手を持ってるな 生口がどうかはわからんが、これよりはるか後の戦国時代には南蛮に内戦の捕虜を
売りとばして火薬他貴重品を手に入れた例がある気が。
人身売買自体は違法だが明治では借金のカタの農村の娘の話はあるし、現代日本でも
極めてわずかだが奴隷の如き人身売買は0ではない。
ところで、日本の三種の神器、縄文以来の勾玉、尚武の国としての剣は何となくわかる
気もするが残り一つが何故、鏡なのか?中国では玉璽、銅鐸も一時期までは大事にされてきたのに。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています