【歴史学】薩摩藩の恐るべき軍事力 「鳥羽伏見」150年…初公開の不発弾から見える幕末の緊迫
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平成29年は大政奉還から150年、30年は新政府軍が倒幕を果たした鳥羽伏見の戦いから150年という節目の年が続く。
これを受け、旧幕府軍の拠点・伏見奉行所に着弾した大砲の不発弾が今月、京都市考古資料館(上京区)で初めて公開された。
オランダから伝わった大砲から発射されたとみられ、
史実通り奉行所が大火災を起こしたことを物語る焼け土とともに出土した生々しい物証≠セ。
そこで約260年続いた徳川幕府を破る歴史の大転換となった戦いの一端を、この砲弾からひもといてみた。
〈薩摩藩が撃った?〉
砲弾は赤茶色のさびで全体が覆われているものの保存状態は比較的良好で、
てっぺんには信管と思われる木製の栓が装着されているのが見て取れる。
オランダから伝わった12ドイム臼砲(きゅうほう)の弾とみられる。臼(うす)のような形が名前の由来。
ドイムは同国の長さの単位で、センチと同じ長さ。12は口径の大きさを示す。
砲弾は直径11・8センチで口径とピッタリ。中空の半球を2個継ぎ合わせているので中は空洞だという。
前田義明館長は「そこに火薬が詰められたはずで、まだ火薬は残っています」と説明する。
この砲弾は平成元年、京都市伏見区内の市営住宅建設に伴い行われた発掘調査で見つかった。
奉行所跡を示す石碑が立つ近くで、当時の奉行所西端の石垣あたりに該当するという。
調査を担当した関西文化財調査会の吉川義彦代表は「普通なら地面にたたきつけられた瞬間に爆発を起こすはずなのに、
地中に30センチほどめり込んだ状態で止まっていた。どうして爆発しなかったのかは分からない」と首をひねる。
画像:展示された12ドイム臼砲の不発弾=京都市考古資料館
http://www.sankei.com/images/news/171124/wst1711240002-p1.jpg
続きはソースで
産経新聞
http://www.sankei.com/west/news/171124/wst1711240002-n1.html /\
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/____/_____________________\ キチガイだったのは水戸藩も変わらなかったのに、水戸藩は維新後には何の論功行賞にも
与ってないんだよねww >>3
その見方が正しい。イギリスからお金も借りてたしな。
今でもシリアの反政府組織を欧米が支援してるし。 田布施ネットワークは本当だったよ 薩長コリアン連合に幕府は倒されたんだ 薩摩藩て幕末にヨーロッパ行ってパリ博に出展した陶器類が人気出て
輸出で大儲けしてるからだろ
幕府と佐賀藩もパリ博に出展してるがイマイチだったみたいだな >どうして爆発しなかったのかは分からない
信管に点火し忘れたか、点火仕損じたのかと
この頃の臼砲は未だタブルトーチ
発射用の火門と爆発用の信管に別々に点火しなければならなかったから クーデター起こした側って高確率で地名国名の変更とか言い出すよね
明治政府の正体はクーデター政権なんだな 徳川も家康の頃は切磋琢磨していた
江戸時代でも切磋琢磨していたから薩摩が強くなっただけ >>6
水戸藩は明治になっても天狗党と諸生党が藩内争いで
血みどろの抗争続けてるから仕方ないw 薩摩藩が原爆作ってたら歴史はどうなっていたのだろう 薩摩が最新の情報を手に入れてたのは間違いない
あの当時日本で唯一アメリカで航海学をしっかり学んで実務もあったジョン万次郎を
最初に囲ったのが薩摩だったしな 最近調所笑左衛門の小説読んだけど、この人の存在はもっと知られてないとおかしい
斉興の代でに家臣の給料が払えないほどの惨状を回復させて巨額の資金を
貯めこむまでに経済を良くしていたからこそ斉彬も表舞台に出られたのだから >>26
借金500万両の踏み倒しですね。
日本を作ったのは調所と村田清風だと思っているわ。 顔文字が一番気に入られてる荒らし
変なコピペは忌み嫌われてるネズミ >>28
沖縄はいつ奄美に謝罪してくれるんだろう‥とちょっと思う 明治維新を否定したがる馬鹿。
日本人の感覚じゃない。 >>6
天狗党の乱や内ゲバで人材払底
その後も藩内で明治まで殺し合いを続けていたんじゃな >>32
明治維新について賛否両論あるのは昔からなんだけど 調所は中国人の子孫だったではないんか、と司馬遼太郎が書いてあった。
日本人の名ではないみたいと、、、 島津家は九州統一目前で豊臣に負け
関ヶ原では豊臣側についてまた敗者となった。
薩摩藩は次回の中央との戦いに備えて臥薪嘗胆し
二百数十年後にそれを晴らした。 勝てば官軍だな。
まあ、無能な江戸ではなく、薩摩の方が相応しかったってことだ 薩摩が最新式の武器とか買えた幕末は、調所広郷による奄美搾取の財政改革があったから。奄美のおかげ。 >>38
ペン・ネームに決まってんだろ、
同じ歴史書の史記を書いた司馬遷に肖ったんだよ。
クーデーターだな。 >>38
筆名の由来は「司馬遷に遼(はるか)に及ばざる日本の者(故に太郎)」から来ている。 それがいまや農業土人ばかりになった
数年前に越してきたけどほんと田舎もんばっか
鹿児島人ほんとキライ >>3
天皇陛下が承認して官軍だったのに
テロリストとかクーデターとか馬鹿かな? 信管付きで火薬も入っている不発弾を展示するって…
本当なら爆発物処理班の出番じゃね?
つか、五味ボマーになるなよ。 恐るべき軍事力?
19世紀半ばも過ぎて、買った臼砲の砲弾が、何なの? >>13
発射に失敗したら、臼砲内部の砲弾が爆発するのかw
怖ぇ〜。 薩摩が凄いんじゃなくて、幕府が酷すぎた
世襲続きで、全く人材がいない
下級武士や農民から人材を抜擢しようとしたが、手遅れだった >>54
発射装薬が不発の時は点火手が砲口に手を入れ、ハサミやナイフで臼砲弾の信管を切断して爆発を防ぐ
それでも爆発した時の為に19世紀半ば頃から大口径臼砲では砲身の肉厚が厚くされました
半端無い位に >>57
いや、幕末時代の薩摩藩、佐賀藩は欧州並とは言わないけど
結構な最先端技術を持ってたハイテク集団だったんよ >>59
幕府がそういったハイテク集団を持たなかった遠因でもあるから間違ってないよ 伏見鳥羽淀橋本葛葉の戦いは、トコトンヤレトンヤレナ♪ 薩摩の集成館事業だな
薩摩の軍事力やら兵隊の質も相当高かった 琉球の軍事支配により、対中貿易でしこたま貯めこんだからなw >>63
加えて、幕末勢い勇んでイギリスに喧嘩売ってボロ負けした反省もあって
その後、貿易でいろいろ買い漁った >>47
そりゃ、当時、活躍した重役たちは
東京に移住してそちらに骨を埋めてるからな
今の鹿児島はただの田舎だよ 幕末は外交からテクノロジーから薩摩が一歩進んでたな >>1
幕末で官軍側だから先の尖ったライフル砲弾なのかと思ったら球形の榴弾だったか
まあ榴弾の方が多数の兵に対する殺傷能力はもちろん高かったが
でも木と紙の家の日本の都市で榴弾を使った砲撃戦なんてやったらいずれにしても
大量の難民が発生するのは確実
そして江戸でそれをやったら首都機能そのものがマヒし、外国にも干渉されて日本そのものが無くなる
官軍側としても、日本を植民地にした張本人などと後ろ指を指される一生を終える事になる
「薩長土肥の志士たちも武士であり、恥を受け続ける人生は送りたくない」
というわけで、江戸城は平和的に明け渡されたってわけだ
これが他の途上国だったら、「よーしこのまま町全部焼いて俺たちの財産にしちまえー!!!!!」
ってやって、統治機能をメチャクチャにしてしまって
「居留する外国人の安全確保のため」という名目で外国の軍隊の駐留を許してしまい、そのままズルズルと
植民地化されるケースだったって訳だ
イギリスとフランスはそれを狙ってたが、日本は江戸に関しては、そのような事が無かったと
で、それを実際に行ってしまったのが会津での戦いであった
街は焼けてしまい、今でも福島の人は鹿児島や山口に対して良い印象を持っていない
もし江戸で同じことをやっていたら、日本がバラバラになるのも必至だったと 薩摩藩はアジアとの密貿易ですごくリッチだった。
今の鹿児島県は貧乏県だがw 鹿児島県は海外との交流の中でしか生き延びられない県なんだよな、
日本としてまとまっていては、火山灰地でサツマイモ食べて辛うじて生き延びるしか無くなる >>69
つまり西郷隆盛がゴミでフリーメイソン坂本龍馬こそが英雄と言うことだな
西郷派の残党は後に靖国となり勝ち目のない戦争を実行し。今再び覇権をとって中国に滅ぼされる 薩長の芋侍の軍事馬鹿政権によって日本は軍国主義の道に引きずり込まれ破滅させられた
幕閣にはバランスのとれた国際観と国家観をもったインテリの逸材がたくさんいたのに
学問の欠片も無いあんな芋侍に政権を取られたのは日本の不幸の始まりだった >>77 関東で色んな売れる物を作れる農耕地ですから。 >>19
日本人を奴隷として海外に売っていたのはキリシタン大名だろうが 鹿児島の人間は戦以外の事には本気出す気が無いって聴いた 幕末最強の軍事力は薩長ではなく佐賀藩
戊辰戦争まで本気ださなかったけど
新政府軍の主力アームストロング砲は佐賀藩製で
砲兵も佐賀藩兵、薩長なんて目じゃなかった
その気になれば幕府だけでなく薩長も壊滅できる軍事力
を持っていた 鹿児島人って今でも火縄銃でロシアンルーレットしてるの? >>19
豊臣秀吉がバテレン追放と禁止した本当の理由
バテレン達が日本人を奴隷として海外へ売り払ってたから、それを知った秀吉は激怒 陸上で使う砲丸がすごい勢いで飛んできたら怖いだろうなぁ >>91
あれって5インチ(約7.5cm)ぐらいか?
砲丸でも十分な威力だな >>48
武力を持って政治的目的を達成しようとするのはテロです 十九世紀一の…
政治家 小栗上野介 東京神田
思想家 横井小楠 熊本熊本
実業家 渋沢栄一 埼玉深谷
資産家 岩崎弥太郎 高知安芸
農政家 二宮尊徳 神奈川小田原
兵法家 平山子龍 東京四谷
剣術家 男谷下総守 東京本所
探検家 間宮林蔵 茨城筑波
測量家 伊能忠敬 千葉九十九里
策略家 勝安房守 東京本所
陰謀家 岩倉具視 京都京都
開国家 岩瀬肥後守 東京愛宕
自信家 佐久間象山 長野松代
経世家 海保青陵 東京霞ヶ関
紀行家 菅江真澄 愛知豊橋
砲術家 高島秋帆 長崎長崎
藩政家 渡辺崋山 東京三宅坂
翻訳家 杉田玄白 東京新宿
啓蒙家 福澤諭吉 大分中津
遊説家 坂本龍馬 高知高知
財政家 松方正義 鹿児島鹿児島
民政家 上杉鷹山 東京霞ヶ関
開明家 橋本左内 福井福井
革命家 高杉晋作 山口萩
戦術家 立見尚文 東京八丁堀
尊王家 蒲生君平 栃木宇都宮
随筆家 松浦静山 東京浅草
画家 葛飾北斎 東京本所
作家 滝沢馬琴 東京深川
噺家 三遊亭円朝 東京湯島
医者 華岡青洲 和歌山西野山
為政者 島津斉彬 東京芝
指導者 西郷隆盛 鹿児島鹿児島
独裁者 大久保利通 鹿児島鹿児島
国学者 塙保己一 埼玉児玉
蘭学者 緒方洪庵 岡山足守
教育者 吉田松陰 山口萩
扇動者 藤田東湖 茨城水戸
兵学者 大村益次郎 山口山口
儒学者 広瀬淡窓 大分日田
漢学者 安井息軒 宮崎宮崎
経済学者 山片蟠桃 兵庫高砂
博物学者 南方熊楠 和歌山和歌山
キリスト教教育者 新島襄 東京神田
キリスト教指導者 内村鑑三 東京小石川
西洋哲学者 西周 島根津和野
仏教哲学者 清沢満之 愛知名古屋
自然哲学者 三浦梅園 大分国東
重商主義者 本多利明 新潟蒲原
国粋主義者 平田篤胤 秋田秋田
豪胆者 山岡鉄舟 東京本所
理学者 帆足万里 大分日出
化学者 川本幸民 兵庫三田
求道者 白井亨 東京桜田
英学者 中村正直 東京麻布
本草学者 平賀源内 香川志度
技術者 田中久重 福岡久留米
幕末維新明治“スカスカ”の犬阪『ええじゃないか、ええじゃないか』←これ踊ってただけ >>66
これ本当だからな
薩摩の英雄たちの先祖は
今では東京人 >>71
正直
日露戦争の時代あたりから、東京政府の考えやら空気やらも
昔の気概がなくなって
すっかり旧幕府に似た感じの いやな雰囲気になっていくんだよね
日本人全体の共通の良くない特性なんだろうか >>99
日露戦争より大逆事件の方が先だよ
閔妃暗殺にしても日清戦争にしても色々と調子に乗りすぎてる
そもそも攘夷が嘘だった時点でどうしようもない
よく考えてみると無理で井伊直弼と同じ結論でしたって…
最初っからおかしいのが明治の乱 戊辰戦争での新政府軍の軍資金のほとんどは、
京都や大坂の豪商から調達されていた。
そして、明治新政府は借用金を踏み倒し、倒産する豪商が相次いだ。
あまり、知られていない事実。いわば、京都、大坂の商人が
幕府を倒したようなもの。 大阪は天下の富地にして、黄金の会すること山のごとく、実に将軍家の外府ともいふべき。
すべて百姓町人などの豪富家は、黄金の番人に異ならず。
世間饑飢に苦しむとも格別の施しもいたさず、執拗して人の誹りを得、英雄豪傑の世となりては、
あへなく奪ひ取らるも知らで、いたづらに番をいたすの愚痴なるものばかり多し。
(清河八郎) >>101
鳥羽伏見の戦いが起きるずっと前から
天誅と称して商家を襲って金を奪ってた
だから新撰組や見廻組が必要だった >>8
革命家、というか都合のいい奴隷(売国奴)を
育てただけじゃねえの 薩摩は人身売買でボロ儲けしてた上に
沖縄や奄美から搾取しまくってたしな
今でも鹿児島は人身売買業者多いのに
取り締まらないのは明らかに恩義があるから
国連でその事を突っ込まれた時も逆ギレしてたし ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています