校内のグラウンドに全校生徒を集めた場合、
その経過は自然と同じ学年や友達同士、男性や女性のグループといったように
一群の集合になるはずだ
しかしそれは、そのグラウンドに集まった生徒に、
そのように判別する情報を持っていなければ、
それが一群の集合に固まっているということを判別することはできない
ここで、
そのような情報を持ってることでランダムな集合から一群の整列を見出すのか
それとも、例えばクラス別に並べと指導することでそのような一群の整列を与えるのか
つまり、
ランダムな集合から一群の集合の成り立つことは、
エネルギーの低い状態からエネルギーの高い状態に移行することを意味するが、
この「移行」というそのものが、
つまりはそれを区別することに「(自然状態から)見つけて」いるのか「(自然状態に)与えて」いるのか
この違いを指摘することが可能であろうか?

いいや、その違いを判断することはできない
どちらも「同じこと」であるはずである

であれば、いったいどこに移行という時間が所属しているのだろうか?
いいえ、時間とはそういうものなのです
時間とはどこにも属さず、ただ相互作用によって顕れる媒介の、抽象化された謂いなのです
だから、世界をランダムな集合として、その全体には時間の経過などないと言っても
それほど間違っていないはずです