過去の出来事が起こったその場所に位置しますと、
空間的な距離はゼロになりますから、時間的距離だけが純粋なかたちで浮かびあがってくる。
それはなぜか言いようのない感銘を与える。
そして、われわれは「過去はどこへ行ったのだ?」と自然に問いかけたくなるのです。
中島義道『時間を哲学する』


欠点こそかけがえのない「その人」をつくっている。
そして、欠点の反対側に長所があるのではなく、欠点とはそのまま長所になりうるものです。
こうした意味で欠点を欠点だと知っていること、欠点に悩むことはすばらしいことなのです。
中島義道『哲学の教科書』


普通人の感受性からずれていることは、大変な苦しみであるけれども、
その人が苦しんでいるからといって、
苦しんでいない普通人より人間として偉いわけではないんだ。
中島義道『働くことがイヤな人のための本』


壇上では「個性を伸ばせ」と言いながら、壇を降りるともう個人の言葉を聞かない。
こういうからだに染み付いたダブルバインド、口先だけの欧米中心こそ、
虫唾が走るほど厭なものです。
中島義道『「うるさい日本」を哲学する』


魔女裁判で賛美歌を歌いながら「魔女」に薪を投じた人々、
ヒトラー政権下で歓喜に酔いしれてユダヤ人絶滅演説を聞いた人々、
彼らは極悪人ではなかった。むしろ驚くほど普通の人であった。
つまり、「自己批判精神」と「繊細な精神」を徹底的に欠いた「善良な市民」であった。
中島義道『差別感情の哲学』


ぼくたちが「ほんとうのこと」ばかり語ることができないのはなぜか?
他人を傷つけたくないから。つまり、自分を守りたいからだ。
このメカニズムをしっかり自覚していれば、それだけでかなりのものだ、とぼくは思う。
多くの人は、これさえ見ようとしないからね。
中島義道『「哲学実技」のすすめ』


期待には影のように憎しみがつきまとう。
期待する者は期待に応えなかった相手を憎み、期待された者も期待に応えられない場合、
期待する相手を憎むという憎しみの網目がはじめから潜在的に張られているのですから。
中島義道『ひとを<嫌う>ということ』


書くことはぼくにとって復讐だ。
ぼくを痛めつけてきた親や姉妹や教師や善良な市民に対する、
そしてもっと根源的にはこうして勝手に生まれさせられ
すぐに死んでいかねばならないぼくの運命に対する復讐だ。
しかも、この復讐はたいそう虚しい復讐だ。
中島義道『カイン』