怖れるべきは死ではない。真に生きていないことをこそ怖れよ。


エピクテートスがいったように
「君は一つの死体をかついでいる小さな魂にすぎない」


つねに、そしてできることならあらゆる場合において、
自分の思念に物理学、倫理学、論理学の原理を適用してみること。


死とは感覚を通して来る印象や、我々を糸であやつる衝動や、
心の迷いや肉への奉仕などの中止である。


大きな夢をみよう。大きな夢だけが人の心を動かす。


もうしばらくすれば君は灰か骨になってしまい、
単なる名前にすぎないか、もしくは名前ですらなくなってしまう。
そして名前なんていうものは単なる響き、こだまにすぎない。
人生において貴重がられるものはことごとく空しく、腐り果てており、取るに足らない。


ランプの光は、それが消えるまでは輝き、その明るさを失わない。
それなのに君の内なる真理と正義と節制とは、
君よりも先に消えてなくなってしまうのであろうか。


今後なんなりと君を悲しみに誘うことがあったら、
つぎの信条をよりどころとするのを忘れるな。
曰く「これは不運ではない。しかしこれを気高く耐え忍ぶことは幸運である」


君の全生涯を心に思い浮べて気持をかき乱すな。
どんな苦労が、どれほどの苦労が待っていることだろう、と心の中で推測するな。
それよりも一つ一つ現在起ってくる事柄に際して自己に問うてみよ。
「このことのなにが耐え難く忍び難いのか」と。

マルクス・アウレリウス