考え方としては基本、近親相姦は両者合意なら犯罪じゃないわけね。
警察は介入出来ない。そこから口封じのために殺人劇が起こったのなら介入は出来るが、家族ぐるみで家族内の問題として供述をされると
非常に厄介な共謀犯集団ということになる。家族内の問題として片ずけられると警察には厄介なわけです。依然、近親相姦自体は犯罪ではないと、、
結論を急げば狭山事件の殺人に関して警察のでっち上げであるということができますね。しかし、のちに於いて近親相姦自体も起こってないと言える論証になるでしょう。
ポイントはこの事件が警察として未解決であるという事。つまり警察は近親相姦自体に罪は定められないけれども、不倫と対極的な意味での不貞として捉えているといえる。
それをするとこういう惨劇になる可能性があるという見せしめ的事件な訳で、警察の捏造。一から100までね。ですから未解決なわけです。近親相姦は家族と両者の問題だが
警察としてはやめてほしいという事。個と個のつながりは全体主義の名目上乗っ取られた倫理観でも極論否定できないし、罪を定められないという事なんだ。それを否定すると全体主義も否定されるからね。
ユダヤ戒律主義の象徴、アブラハムがなぜ欺瞞的に2人の妻を娶ることを自身許してる設定になってるかわかる。単に近親相姦を抑止したいというなら、この事件を未解決として警察は現行させる意味はない。
ここら辺がこの捏造事件の複雑なところ。三億円事件との因果関係は別に警察がわざと自作自演してる事件でありながら実際に完全犯罪として成立した三億円事件に対し、
狭山事件に至っては全て警察の捏造であるという事のギャップにおいて語られるべきであろう。
警察主導で起きた事件でありながら、本当にあったか捏造であるかという警察のごまかし。