1970年代のゲーセンを語ろう
ドンキーコングJR. 1982年8月
ゼビウス 1983年1月(ゲーム内での表示は1982年)
らしいから半年も離れてないな 自分の周りの出来事をさも一般的にもそうであったかのように言っちゃう>>141は結構やばい 俺のとこはドンキー、ドンジュニ、ドンスリーと呼んでた 単に自分の周りではこう言ってたってだけのことを何故こいつは執拗に否定するのか、意味分からん 小さい島をジャンプしてゴリラっていうと、
真っ先にコンゴボンゴが思い浮かぶ。
ゼビウスと同時期だし。
SNKのファンタジーにもゴリラがいたな。
ヤシの実か岩が頭にぶつかると夢に出そうな声をだすのな。 ティップタップはリアルタイムで見たけど海外版であるコンゴボンゴも当時日本で出回ってたの?
SG-1000版はコンゴボンゴではあったけど すまん。当時アメリカにいたのでコンゴボンゴとばかり思いこんでいた。
確かに日本やヨーロッパはティップトップだかティップタップでした。 >>125
予想目がゼロになってしまってプレイできないんですね
わかります ここを見ると70年代から80年代の内にゲームはやたらな進化を遂げたもんだなと
感慨深い カラー化、体感ゲーム、ポリゴン、テクスチャマッピング、カード&通信と2000年代初めくらいまでは五年ゲーセンにいかないとビックリするくらい進化があったよな。 >1970年代のゲーセンを語ろう
何か言おうと思いましたが記憶が定かじゃありません…。 白黒ゲームがなくなっていくあたりまでかな
カラーじゃなかった最後のほうは、ルナレスキューとかバルーンボンバーあたりか スペースチェイサー
ヘッドオン
ザ・ピット
このあたりがカラー黎明期かね
ヘッドオンはパチもんのほうだと白黒もあったか 学校から帰ったらソッコーでデパートの屋上のゲームコーナーへ行って
ギャラクシアンをやりに通ってたんだけど、かならず管理人のおっさんが先にやってて
「どや、10万点いったでぇ!」とか自慢してたのを覚えている。そして
「1回だけやでぇ、タダでさせたる」っていって1クレジット入れてくれてたな いたなあそうやって店員と親しくしてただゲーもらうやつ
俺はさらにそいつからもらう係 インベーダーの立ってやる奴で左右の移動がボタン式のをやりたい。 五円玉にセロテープを巻いて百円硬貨と同サイズにしてだな アップライトインベーダーは行楽地のゲームコーナーにあったな
もちろん1プレイ100円 インベーダーブームが来る前の70年代ゲーセンってちょうど今のゲーセンと似たような状況なんだな
プライズ機やエレメカ、メダルゲーが並ぶ中でビデオゲームが細々と動いてるみたいな 78年ぐらいからだからすごい時期的に短いな(´・ω・) ヤフオクとか見ても10円50円のコインセレクタが見つからないんだけど、既存のやつを改造出来ないでしょうか バカボンパパの顔パーツを3つ揃えるルーレット
3回で決めないといけないので2回目で失敗すると3回目が敗戦処理になってしまう
ナムコ製なのにリメイクしてくれない >>141
アーケード、ゲームウォッチからやってた人はドンジュニだな >>151
ヤシの実投げて自分に戻ってくると
「ブフウブフウウウ」
みたいな声出すんだよな
あれはなかなか独特だったな >>176
大体、当時の体感普及台数に合ってる広告量だと思うけど
レッドUFOの広告量だけは納得いかない
業者にはそんなに期待されてたんか 自分の行動範囲でレッドUFOは置いてなかった
赤エイリアンがまとめて飛んでくる海賊版が多かったな 100円筐体のコインボックスに5円玉ざっくざっくだ ゲームセンターあらしでもゲーセンのおじさんがインチキ硬貨使われてるって嘆いてたな 昔の黄色いエロ本自販機でセロテープ五円玉を入れて
返却ボタンを押すと百円玉で帰ってくる自販機があったよ >>184
今こんなゲーセンあったら行きたいw
でもディフェンダー置いてるって事は1980年代じゃないかな
非常口(兼入口?)付近に置いてるコクピット筐体はスピードレース系だろうか >>186
80年代スレは実質85年以降って感じなのでこっちの方がいいかなと ピンボールも70年代で7セグデジタル表示って
セガピンボールぐらいだった気がする 1ゲーム追加のときの「ガコッ」という音が好きだった