【日米】米国が日本に中距離ミサイル配備を検討「中国の核増強による直接的な脅威についてアジアの友人や同盟国と協議」[08/16] [SQNY★]
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
・米国、日本に中距離ミサイル配備を検討
マーシャル・ビリングスリー米大統領特使(軍縮担当)は、米国は将来的に日本を含むアジア太平洋地域に中距離ミサイルを配備する意向だと語った。「Nikkei Asian Review」が報じた。
ビリングスリー特使によると、ワシントンは「中国の核増強による直接的な脅威についてアジアの友人や同盟国と協議」を希望しており、また「同盟を守るために将来どのような防衛能力が必要になるか」を協議したいという。
同特使はまた、現在、米国は超音速兵器を開発中だと言及。「これはアジア太平洋地域を安定化させる防衛能力であり、我々の同盟国、友人、パートナーが守られるという保証、また中国が軍事的脅迫に走らないという保証になる」と語った。
日本政府は6月、秋田県と山口県に予定されていた米国ミサイル防衛システム「イージスアショア」配備計画を停止している。
US considers midrange missile deployment in Asia to counter China
https://asia.nikkei.com/Editor-s-Picks/Interview/US-considers-midrange-missile-deployment-in-Asia-to-counter-China
(画像)
https://cdn1.img.jp.sputniknews.com/images/700/87/7008785.jpg
2020年08月16日 17:01短縮 スプートニク日本
https://jp.sputniknews.com/politics/202008167700887/ 中国が尖閣なんかで、日本を揺さぶれば揺さぶるほど
米軍が強力な兵器を日本に置ける建前が簡単に出来上がる
あんな遊び程度の挑発が何の意味があるのか不思議 米英ファイブクズ、ロシア、シナコリア
この犯罪国が武力を放棄して日本から出て行き接触を断てば安定するなぁ
国内の害ジン除去が何よりも重要で急務
これをやらなければ全てが無意味である
日本はナチスによる選別排除と同様の事をしなければならない程追い詰められている 先に米本土へ届くICBM基地をたたく、
日本はアメの浮沈ミサイル基地。
ヘタレ安倍はカリアゲが怖いから応じるだろ、カス。 金出すからトマホークくれ
翼とっぱらってステルス塗装に魔改造するから。
◆◆◆ 帰化された方々のご活躍が目立つ立憲民主党は、日本よりも韓国の利益を重要視している? ◆◆◆
数少ない立憲の国会議員の中には
福山幹事長に蓮舫副代表、白真勲議員
安住国対委員長、辻元議員、有田議員
といった具合に有名どころでも疑問を覚える思想を持つ議員がこれだけいます
さらに、韓国に譲歩すべきという発言をたくさんの議員がしています
・立憲・あべともこ議員「従軍慰安婦の少女像。日本人は謝罪と慰謝を忘れてはならない」
・立憲民主党会派の中川正春議員、徴用工問題は「日本企業の拠出金と日韓両政府の税金で保障しよう
・立憲民主党の石垣のり子「高橋洋一は韓国に対していい発信をしていない。レイシズム、ファシズムだ」
・従軍慰安婦問題で2012年春、野田佳彦政権が、存命の被害者全員に駐韓日本大使が直接謝罪し政府予算で人道的措置を取る収拾案を韓国に提示、「公的責任」を事実上認めるものだと伝えていた
・柚木みちよし議員「日韓併合や慰安婦、徴用工問題など加害国として日本側も歩み寄るべき」
・宇都宮健児「従軍慰安婦や靖国問題は、日本人としてとても恥ずかしい。慰安婦像を国会議事堂前に立てて後世に残すべきだ」
・レーダー照射「日本の政治家なら韓国に抗議すべきだ」 国民・玉木代表が立民・枝野代表を猛批判
・立民・枝野氏、レーダー問題でやっと発言「政治問題化せず粛々と…」
他にも調べれば大量に出てきます
おまけ
・石破氏「今日から君はスミスと言われたら」日韓連携訴え
・石破氏「日韓関係、悪化することで日本にプラスはない」「ウイルスによる活動自粛期間中は韓国の歴史を勉強した」
・二階幹事長の「千人で訪韓」計画
明確な根拠の説明なしに反対するやつは売国奴だろうな
平和がとか9条がとかいう奴らも 日本人を一人も犠牲にする事無く
腐っているイギリスアメリカとその腐っているオトモダチで解決すべきだろ
日本人300万人以上の犠牲と文化伝統建築物破壊、ジェノサイドの責任を取れ
日本領土と日本海を穢さずにヨーロッパとシナロシアの汚染地でやれよ 韓国にも向けられるような性能の中距離ミサイルにして欲しい。
「韓国海洋警察庁の船が中止要求してきたと発表した。」 犯罪国同士でやり合い最後にアメリカが核で消滅したら世界の春だなw >>16
他人事だと思ってる時点で馬鹿かスパイだな 日本は不沈空母なのはいいが、エンジン付けてハワイ辺りに行きたいね。 配備は、政治的に安定していて、防衛が堅固、敵との距離が適当な国が良い。
となれば、日本が最適なんだけど、まあ、核はムリだろうね。 ドンドンやってくれミサイル無けりゃ丸腰も同然だからな >>1
アメリカGHQが作成し与えてくれた日本国憲法第9条があるから、そのような攻撃兵器の
装備は憲法違反なんですね。分かりますう? 別に、宇宙ロケットと空自の巡航ミサイルを持ている自衛隊が
弾道ミサイル陸上巡航ミサイルなんていつでも配備できる
また1955年ころには工業技術院が爆縮レンズを有していた
日本が原子爆弾を持てないはずはない。たぶん日本の核技術は爆破実験せずとも
楽々で水爆持てる。実際高速増殖炉は水爆よりはるかに難しい
ただ日本に核を配備すれば、左翼が騒ぐしそれでなくとも日本軍(自衛隊)を怖がる
人民解放軍が攻めてこなくなるぞ。 パヨクが発狂して反対するのは間違いないが、日本を中北ロ
(ひいては韓も)から守るには日本国土にアメリカの中距離・
戦術核ミサイルを置くことであり、これが最も効果的な方法
であるのは明白。
今、米中の冷戦構図が浮き彫りになったこの東アジアでこそ、
かつて欧州の核シェアリングの発想が求められている。
80年代のINF
米ソ冷戦時代でもここまで直接的な話は少なかったよなぁ
日本にとっても現在の中国の脅威はあの頃のソ連よりずっと上だわな 素直に日本に核武装させろっての
まあ国内のアメポチどもが大反対するだろうけど
アメポチどものお題目「核シェアリング」 どこで戦争するの?
朝鮮代理戦争、朝鮮戦争再開で良いのでは?
死ぬのは朝鮮人だけ、非核化も出来る、難民が陸で中国を苦しめる。
裏切りの南を利用する、最後に利用出来る。トランプ大統領二期。
良い事ばかりだと思うんだが?海は封鎖したら良いだけだし。
日本は竹島が戻ってくるし。 軍施設がある時点でミサイル配備してもなんも違和感ないわ
中韓やロシアがヒステリー起こすだけやろ >>39
朝鮮戦争当時のシナには日本を攻撃する力は無かったからな
今のシナが在日米軍満載の日本列島を看過すると思うか?
真っ先にミサイルぶち込んでくるぞ 最新鋭「超音速トマホーク」を日本海沿岸にもれなく配置! 一撃撃沈・・ もうトロクサイ日本の政治家に任せてたら間に合わん
アメが圧力かけまくってパヨク黙らせてくれや 米中戦争で戦場になるのは結局日本
核武装に死ぬほど反対し核シェアリングなどという虚妄を叫び続けるアメポチどもが日本を滅ぼす
日本よりもアメさんをたいせつに思う国賊アメポチども 【18万人虐殺し奪われた沖縄 「日本守る」掲げた米軍支配の欺瞞 蘇る県民皆殺しの記憶】
長周新聞 2015年6月8日付
沖縄県では、戦後70年目の沖縄戦慰霊の日(6月23日)を前後して、各自治会や地区単位の慰霊祭が準備されている
【米軍によって数多くの県民が無残に殺された沖縄戦】から70年を迎えるなかで
これまで家族にさえも語ってこなかった体験者が、「今語り継がねば」と深い思いと使命を持って語り始めている
【草木さえ残らないほど島中を焼き尽くし】、空襲、艦砲射撃、戦車砲、火炎放射器、毒ガスなど
ありとあらゆる兵器で女・子どもを殺した米軍が、戦後は「日本を守る」のだといって【70年も居座ってきた】
【「守る」どころか、民間人を含む18万人もの人間を虐殺して占領したのが沖縄戦】であり
そのなまなましい記憶はかき消すことなどできない
辺野古をめぐってかつてなく県民の斗争が広がりを見せるなかで
米軍支配のはじまりとなった沖縄戦でどのような目にあったのか、体験者に聞い >>46
沖縄市内に住む90代の女性は、米軍が上陸し戦闘が激しくなってから
夫とともに南部に逃げた体験を持っている。
当時21歳で、首里の駐在所から西原町翁長の駐在所に移っていたときに沖縄戦を経験した。
「米軍は読谷村から上陸し、住民が山原の方に行けないようにしたうえで、南部に攻めてきた。
私たちは豊見城の方に行き、そこからずっと南部へ逃げていった。
海からは艦砲射撃、陸からは戦車砲が撃ち込まれ、しだいに追い詰められて島尻の喜屋武岬の崖の下に逃げこんだ。
崖の上からは米兵に狙われ、夜が明けるとトンボ(偵察機)が飛んできて
隠れている位置を教えるからすぐに艦砲でやられた。トンボが来るとすぐに逃げないといけなかった」と語った。
海には、アメリカの艦船がたくさん並んでおり、精神状態がおかしくなって荒れた海に飛び込み、亡くなった人がたくさんいた。
逃げている最中、壕に入ったところを見ていた米軍の戦車砲で全滅させられた人たちもいた。
「私の隣にいた友だちは頭を打ち抜かれて即死だった。
私の腕と頭に弾の破片が入り、その後何度か攻撃を受け、足にも胸にも破片が入った。
今も足と頭には破片が残っている。艦砲でやられたのか戦車砲でやられたのかわからないほどだった」
と米軍の攻撃でたくさんの人が殺されたことを語った >>47
そして米軍が最南端である喜屋武岬の方に人人を集めるように追い込んでいったこと、
夜になると照明弾がうち上げられて米軍に狙われるため、すぐに伏せていたことを語った。
米軍の艦砲射撃のなかを生きのびた女性は
「ほとんどの者が死に、生き残ったのはわずかだった。戦後も頭に破片が入っているため、気を失うこともよくあった。
今でも毎日戦場の場面が頭の中に浮かんできて寝られず、薬を飲んで寝ている。
逃げるときに“助けて、助けて”という声があったが、助けられなかったことが一番辛かった。
自分の子どもにはたまに話していたが、人の前で話したことはなかった。
今南部周辺が観光地になっているが、私たちがいたところは生存者がほとんどおらずテレビにもあまり出ない。
遺骨も流れてしまっているはずだ」
と苦しい胸の内を語った。 >>43
海岸はだめです
山のトンネルとか潜水艦に配備しないと >>49
一瞬で家族奪った艦砲 防空壕も狙われた
沖縄戦当時、13歳だったという沖縄市に住む83歳のA氏(女性)は、
自身の子や孫たちに伝えるため体験をつづったものをもとに体験を語った。
これまで老人会でも語ってこなかったが、「ぜひ私の体験を伝えてほしい」と並並ならぬ思いを込めて
体験をつづったものを自宅から持ってきた。
そして自身の頭にも艦砲の破片が入っていることを初めて明かした。
A氏は与那原(那覇の東、太平洋側)で生まれ、父母兄弟妹家族とは別別に、祖父母のもとで育てられた。
1944年10月10日の10・10空襲(那覇空襲)から、沖縄における米軍の攻撃が始まったことを語った。
空襲について、「朝の八時ごろで、学校へ行く準備をしていたが、
爆撃機B29が不気味な音を出しながら低空飛行で機関銃を撃ち、パラパラと私たちめがけて弾が飛んできた。
突然の出来事だった。
B29は上昇してまた低空飛行し、機関銃でくり返し撃ってきた。
幸い弾は当たらず助かったが、この空襲によって那覇の町は焼かれ、夜通し燃え、昼のようだった。
その日以来、毎日のように空襲警報のサイレンが鳴ると防空壕に隠れる生活が続いた」と振り返った。 『基地略奪の為の大殺戮 アジア侵略の拠点に』
米軍は沖縄侵攻作戦を「アイスバーグ(氷山)作戦[Operation Iceberg]」と名付け
戦後、沖縄を占領し、基地にする周到な計画のもとに侵攻を開始した。
それは琉球王朝時代のペリー来航のときから、沖縄の島島の地図や民事ハンドブックを作成し、
歴史、地理、民俗、動植物にいたるまで詳細に調査しどこをたたき、
どこに集めていくのか、さらに占領後の占領行政を含め、周到な準備をした上で攻撃した。
1945年3月26日に沖縄に上陸したと同時に、
海軍軍政府布告第一号「権限の停止」(通称「ニミッツ布告」)を公布し
【住民に対して日本の行政権を停止】したことから見ても、【米軍が沖縄を奪い取ることを確信していたことが明らかになっている。】
兵員・物量ともに日本軍をはるかに上回る米軍の攻撃は
沖縄本島を一木一草もないほどに焼きつくし、山野の形も変えた。 >>52
【日本人なり沖縄を「守る」ためではなく、虐殺によって奪い取ったものにほかならない。】
【現在では名護市辺野古への新基地建設を「日本を中国の脅威から守るため」だといい
沖縄戦で米軍が殺した人人については一言も触れない。】
しかし沖縄戦を体験した県民にそのような欺瞞は通用しない。
18万人も虐殺したアメリカが、いったい日本の何を守るというのか、である。
戦後はベトナム戦争の出撃拠点として利用し、アジア覇権を打ち立てる要衝として沖縄の米軍は存在し続けた。
70年たってさらに新基地を建設するところまできて、いったいこの先【何年居座るつもりなのかという県民の憤激】が高まっている
70年前の地上戦の記憶を体験者たちは必死の思いで、未来を担う沖縄の子どもたちや若者に語りたがっている。
『米軍が大殺りくした沖縄戦』
45年3月の慶良間諸島上陸から3カ月間つづき、日本側の戦死者は24万4000人余にのぼった。
このうち15万人が民間人で、いまも山野に数千体の遺骨が埋もれたままである。 離島なら構わんよ(´・ω・`)
奥尻、隠岐、五島列島の端っこ、十島村、伊江島、魚釣島に配備してバンバン撃ったらええ。 >>32
>また1955年ころには工業技術院が爆縮レンズを有していた
ハイハイw 恒例のネットデマを拾って持ち出してきたねぇw
信じるのも大概にw
元ネタは
「工業技術院傘下の物質工学研究所が1973年(昭和48年)に爆縮型原子爆弾の起爆装置である
爆縮レンズを開発しているので日本は簡単に核武装できる」
まず「物質工学研究所」は現実には存在しませんw
んで、爆縮レンズじゃないですw 実際にやったのは「爆薬レンズ」ですw
全然違いますw 名前は似てますがね
そして嗚呼大日本スゴイーなカンチガイ君にいっとくと、フォンノイマンの古典的な球形対称性の爆縮レンズなんて
兵器級核兵器にはなりませんよ? 大きすぎだし火薬じゃ重すぎですw
まぁウラン型なら作れるかもしれませんが、さらに大きく重くなりますねw
(なぜ北朝鮮やイランがプルトニウム型を作ろうとしてるのか理解してますか?両者は臨界量が全然違います)
今時、重爆でないと運べないような核兵器じゃどうにもならない ミサイルには当然積めませんw
現代のスマートで小型な核兵器はレーザーを使った非対称爆縮で、これは簡単な技術じゃないんですね
スパコンだって基礎データなかったら臨界前実験できませんしね
結論:日本にはPuの兵器級核兵器を作るノウハウは無い
残念ですねw
日本スゴイ論はお腹いっぱいw
そろそろウヨが五毛だパヨクだと言ってくるかな?でも作れない物は作れませんよ?
商用原発の知識じゃ核兵器は作れないっスw 二つのガマ(自然壕)の話
4月1日、上陸した米兵に竹やりで突撃し2人が重傷を負った。
「自決」を口にした住民が着物や布団に火を放つ。
周りが消し止め事なきを得たが、翌2日、再び米兵が姿を見せると極限状態のガマでは毒薬で命を絶ったり、自ら親や子を手にかけたり。
約140人のうち83人が集団自決で亡くなった。
米軍が上陸した1945年4月1日。夕方、炊き出しのためにガマを出た男性が銃を構えて向かってくる米兵を見つけた。
「アメリカーが来た」。米兵の姿にガマ内は混乱する。竹やりで応戦しようとする警防団を、平治さんがいさめた。
平三さんはガマには日本兵がいないことを説明した。「米兵は住民を殺さない」。2人で住民らを説得し、投降した。
全員が助かった。 「通産省が工業技術院物質工学研究所で爆縮実験をした」ってのも同類のデマだね
デマは「信じたい物しか信じない」ビョーキのウヨ頭で永久に生き続けるのか
なるほど、「ドイツのデュイスブルグにファーウェイ工場がある」デマも消えないわけだねw >>62
これは沖縄での話。
殺戮を好むアメリカ兵の存在を否定はしないが、多くは恐怖や誤解からくる
齟齬からの悲劇だ。 尖閣諸島をインフラ整備して米軍基地を作るまでセットでお願いします 「新型コロナは中国共産党の石正麗が作った。
人民軍のHPにその記載があったが、後日削除された」
このデマも永久に生き続けるのだろう ウヨ頭の中でw
はよ病院行ってねw ウヨはw これはラッキーだから感謝してもいいくらい。
中距離の弾道ミサイルが配備されれば戦争しなくてすむ。
米ロが戦争しないのも戦争すると、お互いに終わるから。
軍事バランスが悪くなると戦争になる。
平和憲法を唱えても平和にはならんよ? 【少女像設置】「(国内的に)合法化された」(韓国メディア)不法状態を解消 地元当局が許可、日本「遺憾」―韓国・釜山 [納豆パスタ★]
https://asahi.5ch.net/test/read.cgi/newsplus/1597154227/ 配備する前にデモンストレーションとして竹島にでも撃ってみせてくれ ほほう、ありがてぇ。
自分で自国も守れない国だからな。 『12月8日、大東亜戦争開戦の日』(ねずきち氏
江戸時代の終わり頃、欧米列強は地上の35%を支配していました。
その強大な欧米支配の脅威に対して、日本が立ち上がったからこそ
世界から植民地支配が一掃されるという動きになったのです。
第一次世界大戦が始まるころには、欧米の支配地域は地球上のおよそ84%です。
その第一次世界大戦に勝利した日本は、大戦の戦後処理を行うパリ講和会議で、
国際連盟の結成に際し、その連盟憲章の第一条に「人種の平等」を入れるべし、と提案しました。
そのような時代に、世界にむけて人種の平等を高らかに謳い上げたのです。
この提案は、米英によって拒否されるけれど、この時点で間違いなく日本は
世界の被支配諸国の民衆にとっての希望であり、
欧米諸国において財力のある植民地支配者たちの絶対的な敵になりました。 >>90
資力を持った強大な支配者たちに、世界の中でただ一国、貧しい日本が正義のために立ち上がったのです。
昭和16(1941)年9月6日の御前会議の際の永野修身海軍軍令部総長の言葉にあります。
「政府側陳述によれば、
アメリカの主張に屈服すれば亡国必至であるとのことであったが、戦うもまた亡国であるかも知れない。
すなわち戦わざれば亡国必至、戦うもまた亡国を免れぬとすれば、戦わずして亡国にゆだねるは
身も心も民族永遠の亡国であるが、戦って護国の精神に徹するならば、
たとい戦い勝たずとも祖国護持の精神がのこり、われらの子孫はかならず再起三起するであろう。
統帥部としてはもとより先刻申したとおり、あくまで外交交渉によって目的貫遂を望むものであるが、
もし不幸にして開戦と決し大命が発せられるようなことになるならば、勇躍戦いに赴き最後の一兵まで戦う覚悟である。」 >>91
日本は、まさに勇躍戦いに赴き最後の一兵まで戦いました。
いくたびの玉砕戦では、傷ついた体に蛆がわき、食べるものさえない中で、身を敵に晒し、果敢に戦い抜きました。
おかげで、わたしたちは、戦後の平和な生活を享受できてきたのです。
それだけではありません。
世界の植民地秩序をぶち壊した日本は、自国の復興を行うだけでなく、
かつて植民地支配されていたアジア諸国に、技術や経済の援助を積極的に行い、
諸国でに工業生産がはじまると、そこでできた製品を積極的に買い上げて、お金がそれら諸国に落ちるようにしていきました。
そうすることで独立したばかりのアジアの諸国は、近代化に拍車をかけることができたのです。 『大東亜戦争にいたる流れ』正統史観
「蒋介石軍の爆撃機」は上海国際共同租界のあちこちに無差別爆撃を行った
日本人町を標的にしたが、正確に爆弾を落とすことができずに
日本人町以外にも無差別爆撃する結果になったのか、わざと日本人町以外も爆撃したのかは不明だが
蒋介石は「日本軍機が無差別爆撃をやった」と世界に宣伝した
租界内には約20ヵ国の居留民が暮らしていて、各国の領事館もあり
蒋介石軍機が無差別爆撃をやっていたことは皆わかっていた
イギリスには上海共同租界内の治安を維持し、居留民の生命・財産を守る責務があったが
上海共同租界内の日本人居留区が蒋介石軍に武力攻撃されたり、
上海共同租界の日本人居留区以外の地区も蒋介石軍に無差別爆撃され、
【 日本人に限らず、欧米人や中国人を含む約3000人もの居留民が犠牲 】になり、
租界内の多くの建物が破壊されているにも関わらず、
日本軍と一緒に蒋介石軍と戦うどころか、逆に【 イギリスやアメリカなどは蒋介石側に資金・武器テロ支援 】をした >>93
蒋介石は英米などからの強力な資金・武器支援が続けられ
日本から蒋介石への、たび重なる和平提案を蒋介石は拒否し続けた
米英は、日本と中国(蒋介石)の戦争を終わらせたくなく、泥沼化を望んだ
英米が蒋介石に武器を輸送する援蒋ルート遮断のため、
日本は仏印と話し合って条約を結び、米中が正式政府と認める
フランス・ヴィシー政権の認可のもと、合法的に日本軍は仏印に進駐
日本が仏印進駐すると英米蘭は日本に対して石油禁輸
英米による蒋介石への資金・武器支援や、日本に対する経済制裁などは、英米にとって何の自衛でもなかった
アメリカは国連か何かのつもりだったのか、日本に中国から出て行くよう要求していたが、
なぜ中国から出て行かなければならないのか、なぜアメリカ一国の言うことを聞かなければならないのか、
被害側の日本にとっては、まったく意味不明なことだった >>94
上海共同租界内では
イギリス人警官が蒋介石軍に、日本軍・日本人がいる場所や砲撃のための距離などを教えたり、
イギリス人警官が蒋介石軍に物資を提供したりするところが目撃されていて、
それを記述した文書も残っている。
ABCD包囲網包囲陣を画策したのは、イギリスのチャーチルであることが最近の研究で明らかになった。
第二次世界大戦はドイツのポーランド侵攻によって始まったわけだが、
ドイツ軍の圧倒的な強さにイギリスは風前のともしびといったありさまであった。
チャーチルが首相になったのも、連敗に次ぐ連敗でチェンバレンが政権を放り出したからである。
このような状況を見てチャーチルが考えたのは、イギリスを救うためには戦争にアメリカを引きずり込むしかない、ということだった。
しかしルーズベルトは、絶対に参戦しないという公約を掲げてアメリカ大統領に当選していた。
チャーチルはまず日本とアメリカの間で戦争が起きるように仕向け、
日本と同盟関係にあるドイツとアメリカが戦うことになるように仕組もうと考えた。
そしてイギリスとアメリカは日本に対する石油禁輸措置を決定する。
石油をまったく輸入できなくて困った日本はオランダ領インドネシアに打信すると
イギリスとアメリカはオランダを引き入れ1941年8月、ついに日本への包囲網を完成させた。
ABCD包囲陣では日本資産の凍結、鉄鉱、石油禁輸措置が取られた。 >>96
◆米国製の支那軍隊
昭和12年8月13日、第二次上海事変。蒋介石は上海の日本租界に攻め込んできた。
8月14日、支那軍の軽爆機(米国ノースロップ製)が
6発の250キロ爆弾を落とし、5発が外れ、1発が支那人の乗るフェリーを大破した。
さらに支那軍機が飛来したが、対空火器を恐れて高空から爆弾を投下し、
キャセイホテル前に落ちた爆弾で数百人が死傷した。
対空砲火で被弾した1機は離脱して戻る途中、爆弾を落とし、フランス租界の歓楽地「大世界」前に落ち、数百人が即死した。
蒋介石の軍は、潰走し南京へ向かうが、行きずりに民家に押し入り略奪したうえで火を放った。
日本軍が南京に迫ると、蒋介石は重慶に逃げ去った。
兵はトーチカの床に鎖で足を縛り付け、逃げ道には督戦隊を置き、逃げようとする仲間を撃った。
◆黄河、長江の堤を切る
蒋介石の軍は、井戸にコレラを撒き、黄河の堤防を決壊して逃げた。
これによって河南省の半分を水没させ、32万人の命を奪った。
蒋介石は成功した作戦と、自伝に書いているという。
長江の堤防も切った。 >>97
1928年(昭和3年)、蒋介石、アメリカで反日宣伝工作。
蒋介石は、まず上海・浙江財閥の娘、宋美齢 と結婚した。
宋美齢は9歳からアメリカに留学した英語ペラペラのプロテスタント信者。
蒋介石は宋美齢をアメリカに派遣して、各地で、ありもしない日本の「悪行」を涙ながらに訴えさせ続けた。
自分自身は、1928年にアメリカ人牧師からキリスト教の洗礼を受けた。
蒋介石は「異教徒の日本人と戦う敬虔なクリスチャン指導者」
というイメージを作り上げ、アメリカの信者を味方につけることに成功した。
アメリカの著名人・マスコミ・政治家はすっかりこの夫婦に騙されてしまった。
ワシントンポストは褒めちぎり、アメリカ政府・戦略事務局の報告書には
「支那は世界で最も頑強な民主主義の一つ」とあった。
大東亜戦争後、イギリスで蒋介石が
「腐敗した少数の政治家達に囲まれた支那の内外にわたるきわめて巧妙な宣伝に支えられたファシストの頭目」
と評されるようになってもアメリカは騙され続けた。 『Chinaの戦争宣伝の内幕』(ねずきち氏
『暗黒大陸 中国の真実』
タウンゼントは親日派の言論を展開したために 大東亜戦争開戦後にまる1年間投獄されてしまいました。
もし当時の米国がChinaの買収による宣伝工作に乗らず、
冷静かつ客観的にタウンゼントの言をいれて東亜政策を推進していたのなら
おそらく日華事変も大東亜戦争も起きなかったといわれています。
またその後のChina国民党とChina共産党の争いもなく China共産党による1億人規模の虐殺も起こらなかったことでしょう。
英国のアヘンは人気が高く、当時は麻薬としての扱いは受けておらず、
民間の治療薬として、一時的に戦闘によって得た痛みも消す効果があって
混迷が続いて暴力が支配したChina国内でたいへんな人気となりました。
またアヘンは性交に用いると男女ともに腰が抜けるほどの快楽を得ることができるのだそうで
そのあたりもアヘンの人気に一役買ったと言われています。
ところが日華事変後、日本軍が統治するところでは、アヘンの密売が規制され
しかも【日本軍は、他の国々の軍と違って、彼らの得意の買収戦略も効き目がない。】
まさに当該家族集団にとっては
日本軍は「彼らのアヘンでの金儲けのための市場を奪い取った侵略者」であったわけです。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています