【アメリカ】学生の宗教的自由法案が可決:オハイオ州の宗教の自由の度合いが論争の中 [11/16]
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・Ohio's religious liberty measure kicks up controversy over application to students
オハイオ州議会が水曜日に可決した宗教の自由に関する法案(学生の宗教の自由法、HB 164)の上では、学生らの宗教的信念によって、科学的に間違いとされる回答でも受け入れるように要求される可能性があるという。
この法案の規定では、「生徒の宗教的内容に基いた学習作業を罰したり褒めたりしない」事を教師に義務付けている。
これについて、オハイオ州のACLU(アメリカ自由人権協会)のチーフロビイストのゲイリー・ダニエルズ氏は、こう指摘する。
「この法案では、学生の宗教的な権利の制限を無くすということですが、地球がまだ1万歳だという宗教を信仰する生徒が、生物学の宿題でそう書いて提出したらこの生徒を罰するのでしょうか?」
「この法の下では答えは"ノー"です。これには教師が生徒の宗教的内容に基いた学習作業を罰したり褒めたりしてはいけないと明確に述べられています。」
それに対し、この法案を後押しした共和党議員のティモシー・ギンター氏は、この法案はそんな単純なものではなく、宗教的な自己表現を広げることは学生達にとってポジティブとなると述べた。
「科学に反していても罰せられない」という批判については、学生達は「授業で教わった事を正しく反映させた提出物を提出しなくてはならない」と述べ、「これは学生達が間違いから逃げるための切り札にはならない」と語った。
・HB 164
http://www.ohiosenate.gov/legislation/GA133-HB-164
(画像)
https://a57.foxnews.com/static.foxnews.com/foxnews.com/content/uploads/2019/11/1862/1048/Ohio.jpg
Nov.15.2019 Fox news
https://www.foxnews.com/politics/ohios-religious-liberty-measure-kicks-up-controversy-over-application-to-students
https://egg.5ch.net/test/read.cgi/news5plus/1572338177/70 7つの習慣ってスティーブン・コヴィーがモルモン教であることを日本じゃ隠して売ってるよね 親が子供に自分の信仰を強要するのもアカンやろ。自分で判断つくまでは 科学も信仰(宗教活動)の一つだが、「実証性」という強力な説得方法を持つ。
他の宗教も「実証性」で闘わないと科学に負ける。 >>3
そうだよ
全部3Dプリンタみたいにその場でつくったんだぞ
月の隕石も恐竜の化石もプリンターで1万年前に作られたらしい
それを数億年前のものと感じるように物理定数や劣化指数なども1万年前に作られた。
もうすこし「アメリカ」について学校で教えてほしいもんだわ >>6 つづき
逆に現行の科学は、自らが信仰活動の一つであることをもっと自覚しないと、
新しい科学の登場を遅らせる。
今や、20世紀初頭以来の科学革命が起こりつつあるのに。 教師が大変だな
そしてここで習った学生は全て役立たずになるんじゃないか? 地球圏の人類は科学的な天文学などの研究だと最大限でも3億年ぐらいで絶滅するんでしょ
観測者が絶滅することが規定されていることで宗教の神の存在やらさまざまな設定がもってきた価値観が効果を失っていくだろうから政治的に摂取する間口を押さえておかなきゃならないのかもしれないね。
とはいえ共産も宗教だけどね 宗教的哲学も科学も突き詰めれば、似たような方向を見ていることが分かるはず
まだこのような些事に拘っている時点で、この宗教もたいしたことないな
多元宇宙と曼荼羅くらいまでもっと突き詰めて考えないと >>9 つづき
「実証」とは「事実」を重んじることだと言われるが、
「事実」とは何かを示すことも含む。
新しい科学では、まず「事実とは何か」を示さねばならない。
「時間」、「空間」、「粒子」、「波動」、「超ひも」、「場」なども、
しょせん信仰対象のひとつであり、幻想であるから。 >>14 つづき
「事実」も「客観世界に在るもの」ではなく、「人が体験する現象」に過ぎない。
ただし、その「現象」が「繰り返し体験可能」であることが絶対的な強みなのだ。
つまり「繰り返し可能な現象」が「事実」であって、「存在」などではない。
そして「繰り返し可能」の半分は、今後も起こるであろうという「信仰」である。 おれは「科学という宗教」を信頼している。
科学は唯一「反証可能性を認めた宗教である」、という特徴を持つ。
反証可能性を認めているのだから、これ以上に信頼できる宗教はない。
なお、科学が宗教であることを納得しずらい人もいるだろうが、「定義の説明は無限に遡及して収束しない。ゆえに、認識体系の確実性は当人の信頼度による」でわかるかなあ。
馬鹿でなければわかると信じたい。 >>16
「自由に責任が伴う」は単なる押し付けで真理ではない。
何かに責任が伴うなら、自由にも強制にも責任が伴う。
実際には、どんなものにも責任は伴わない。
ただし「業(ごう)」は伴う。 >>18
その宗教が実証可能なものなら、大いにハマりたい。
実際には、釈尊が説いた初期仏教にハマっている。
実証可能性を主張し、かつほぼ実証可能だから。 >>17
「信頼」という言葉を使っているところが、「及び腰」というか中途半端。
「信頼」は「信仰」ではない。 「信仰」ではそのスタンスを採った時点で教義が信徒に対して絶対に成るから反証可能性は失われるのでは? 例えば女性差別がどうのこうのの切り口に大抵の宗教の経典などの記載でまずかろうな記述があるが、
信仰ゆえに経典の文言を削除することが出来ない、つまりは宗教は改善が出来ないということ >>23
預言者も人間だから、間違いを犯す可能性は多分に有る。
神の言葉を人間の言葉に翻訳?した時に間違えたとか。 >>22
いや、反証可能性は信仰の基盤のひとつ。
「信仰」は、自分の命、あるいは全人生を賭けられるか否かということ。
それが出来ないのなら、それが出来ていない人生を支えているものは何か?
それが、本当に信仰しているものとなる。 科学と民主主義が対立したら、どちらを選ぶのか? って事だろ。
民主主義国家に置いて、国民が民主的に科学的事実より宗教的信念を事実として選ぶなら、科学を否定するのは正しいのではないだろうか? >>23
実際には、ほとんどの世界宗教は、経典を改変しているし、"改善"もしている。
キリスト教のバイブルも編集と創作の結果であるし、仏教も同様。
("改善"が、本当に良くなったことなのかは別のことだが)
「改変、改善はできない」は、単に当座の宗教(団体)の、プロパガンダに過ぎない。 >>23
>大抵の宗教の経典などの記載でまずかろうな記述がある
「大抵の宗教の経典などの記載でまずかろうと解釈できる記述がある」だな
文章は全て解釈によって理解されるのだから、解釈を変えれば問題は無い。 >>26
「正しい」のではなく、「隆盛になっている」というに過ぎない。
民主主義は「正しさ」ではなく、「流通可能性」を主張している。 一神教の授業の講師は授業で信仰は「信じること」その主体的な在り方みたいなことを言ってたな
さまざまな矛盾や抵触するであろうことに改変しないのかと問うた時
運用に際して改善できない経典絶対主義による削除拒否組織性に対して政治的に改善を脅威のリスクから求めることが出来ない
のでは? >>30
後半の文章が意味不明、というか文章になってない。 >>31
政治的に宗教組織は信徒の数が多くてそれ自体が選挙組織的に政治家に影響を与えやすく、
信仰のいれこみぐあいによって経典を否定されると原理主義的なテロリズムに晒されるリスクが合って恐ろしくて改善を他者は迫ることが出来ない
改善すべきではと言っても運用組織の当事者たちがその組織の大人口をバックに替えない態度を採った場合に改善が出来ない、
それどころか、宗教の原理主義的な信仰を採る人達からの暴力的な脅威にさらされる >>32
宗教それ自体の問題ではないので論理的には宗教の間違った運用である人間側の都合と言われるかもれしないが
人間が信仰している宗教の問題である以上はどうにかしてくれないと困る
人間以外の動物や昆虫や微生物は信仰なんてしてないんだから信仰の問題は進行している人間が信仰していない人間も含めて話し合いで改善に乗り出しくれないと困るし
原理主義的にリスクがある脅威を感じさせられてもらっては困る >>32
信仰は、時に自分の命を賭けた闘いだ。その過程で相手の生命も奪ってしまうかも。
実際、キリスト教も、仏教も、ユダヤ教も、イスラム教も、そのような闘いがあって
今日に至っている。今もこれからもあり得ること。
しかし暴力にどう対応するかの問題は残る。これを解決した人は少ない。 国民の半数が地球は平たいと思ってるらしいw
まあ各分野のtopが天才ばかりだからな、大して困らないのか? アメリカ人の平均的な知能は低い
一番知能が高いのは東アジア(日中港澳台韓朝)とイスラエルで、
ドイツや北欧系がこれに次ぐといった感じ >>35
まあそうなんだが、効果的な何かを創り出せたりはしないんだよな結局
まあさまざまな社会問題と同じく結論はそういうところに落ち着くほかない >>38
信仰は個人のものだが、一方で宗教は社会運動でもある。
人間は一人では生きられないから、個人の信仰は社会に及ぶ。
だから他人を変えるかも知れないし、それを強要するかも知れない。
逆もあり。
これは闘いだ。では勝負の原理は何か?
暴力的な「力」か? 実証可能な「正しさ」か?
どちらであるかの決着はついていない。つけようとはしている。 宗教の自由と言っても犯罪が無罪になるわけじゃないことを祈る >>1
科学と宗教をごっちゃにするような教育してたら国が滅びるぞ
昔神風というのを信じる国があってな
科学的に考えると台風なんだけど神風が敵を撃退すると考えて無茶な戦争をしてしまった >>40
宗教の名の下に重婚、児童婚、レイぷが無罪になってるだろ >>41
宗教と集団洗脳をごっちゃにするのも国を滅ぼさせる。
神風とか宗教じゃないよ。宗教とごっちゃにしたのが間違い。 >>43
それは日本を特殊に考え過ぎ、
昔戦争の時十字軍だって祈りを捧げてから大砲ぶっ放したりしていた。
日本特殊論にはポジティブにもネガティブにも与さないスタンスだ。
どちらにしても大げさにとらえすぎている >>43
「「神風」って元寇で考えてたが大戦期の特攻のことか?
うそれならそうか まぁ設問を工夫すればいいだけだよね。
「この問題について、学会で有力な回答は何か」とか「ニュートン物理学に基づいて答えよ」
とすればいいだけ。 >>43
集団洗脳か宗教かで言えば神風こそ宗教の部類だと思う
洗脳と言うのは相手の思考力を麻痺させてロボットのように操る事だが神風はもっと主体的な感じ
宗教的概念が前提として、国の為に死ねば靖国に祀られる御霊になる
だから死は怖くない
みたいな感じで霊的なファクトが絡んでいる
だから洗脳と違って主体的に特攻する つまり宗教的思考とは「死=終わりではない」が前提としてあるわけである
まあ転生にしろ天国にしろ地獄にしろ、生きた自分の行動によって、死の後の運命が決まる
だから死を恐れないから神風だの自爆テロだのが成立する
科学的思考は「死=生命活動の終わり」とはっきりしているので死のリスクを伴う行動には自然とブレーキがかかる
そして宗教的思考による生命の軽視は兵器における生残性の軽視にも繋がり戦いが進むにつれて戦力の疲弊を招く
結局は宗教的思考で戦えば国が滅びるって事 >>47
元寇の神風は実体は台風で、二度に渡って吹いた偶然を神意と見た。
神風特攻はその神風にちなんだもので、直接的な信仰ではない。
神風特攻は、神道の人だけでなく、仏教の人も、キリスト教の人も、
奇跡を起こして欲しいと願った(信仰ではない)。宗教でなく洗脳だ。
本来の神道なら、死んだ霊は故郷に戻る。靖国には行かないはず。
仏教もキリスト教も別な所を用意してる。
つまり靖国は宗教ではなく、国家が洗脳するための道具だ。
洗脳されたものは、洗脳されたことを知らず、自分の行為は主体的だ
とみなす。でも敗戦でサラッと覚めてしまった。 そうかもしれへんなーそうじゃないかもしれへんなー
それなりに理屈を並べた世界観を示されると科学自体がまだこんなもんやでな >>48
>科学的思考は「死=生命活動の終わり」とはっきりしている
いや、現代の科学は死については「解らない」と考えている。
活動の終わりを決めているのは、肉体についてだけ。
心の活動については未知だし、実証もできていない。
現代科学では保存則は重要だが、心が無くなってしまっては、
保存則としては治まりが悪い。
仏教の死後観は複雑だ。釈尊は輪廻転生を肯定してると言う人と、
そうではないという人がいる。
悟った人の死後について釈尊は「無記」、つまり語らなかった。 >>51
現代の科学では心の活動は肉体に付随するものだから肉体の死と同時に心の活動も終わりだよ
わからないのは心でなく、魂や霊といった分野
釈迦は輪廻転生は存在すると言う立場だが、悟った者は輪廻転生を解脱するという考え
だから仏陀はもう輪廻転生はしない ただし輪廻転生の存在は釈迦の考えではなく、当時の古代インドのバラモンの教えでの一般的な考えだけどね
輪廻転生に基づくカースト制度から社会的に脱却すること、そして輪廻転生により生まれるカルマから脱却する事が釈迦の目指した解脱 日本でもキリスト教系大学が、別にキリスト教徒でもない学生に聖書必修にしたりするのどうにかならんのかな? >>54
嫌なら宗教系の大学に行かなきゃ良いだけ。 >>1
月は断裂しないって
イスラム学生に言い張れば
ダニエルズ氏にも一目置くけどな >>1
地球と言う名称が出来てから、一万年も経ってないだろ。 何か聞いたら
『久留米ひさしの2ch自動書き込みソフトを得る方法』
でグーグルで検索すると自動で書き込めるノウハウがわかるらしい。
AXH >>46
なるほどなー
確かにそうだよな
聖書を信じるか、科学を信じるかだから、科学に限定して答えさせればいいだけだもんな ユルクヤルが片方の言い分だけ載せてホルホルしてたやつな 連投荒らししてる統失は
アフィカスブログの管理人だとよ 学問と宗教は、隔ててこそ、宗教の自由が得られるのに。 >>1
これは大丈夫?
ttp://www.muslim.or.jp/hadith/vol2-133-2.html
アッラーのみ使いは「アダムの子孫である人間一人は360の関節をもって創られた。
それで、アッラーを称讃し、アッラーの栄光を称え、アッラーの他に神なしと唱え、アッラーを讃美し奉ってお許しを
乞い、歩道から石、棘、骨等を取りのけ、善行を勧め、忌むべきことを禁ずる者は、彼の360の関節は健全に保た
れ、その日(復活の日)地獄から遠く隔って歩むのである」と申された。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています