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【EU台】欧州自由民主同盟が台湾総統選挙への中国介入を非難する決議案を可決 [11/04]
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0001SQNY ★垢版2019/11/05(火) 17:41:31.08ID:CAP_USER
・欧州自由民主同盟、台湾総統選挙への中国介入を非難する決議案

欧州議会の院内会派である欧州自由民主同盟(ALDE)がこのほど、「中国の台頭に対抗するためのヨーロッパの能力強化」と題する決議案を可決した。外交部は「台湾と欧州が民主主義や自由主義という価値観を共有していること、双方の協力が民主体制にとって重要なことを浮き彫りにするものであり、外交部としてはこれを高く評価し、感謝したい」とコメントしている。写真は台湾北部・台北市にある外交部の本庁庁舎。(外交部)
https://image.taiwantoday.tw/images/content/img20191104110803818.jpg

欧州議会の院内会派である欧州自由民主同盟(Alliance of Liberals and Democrats for Europe、略称:ALDE)は10月24日から26日までギリシャのアテネで年次総会を開催し、「Improving Europe’s capabilities to address the rise of China(=中国の台頭に対抗するためのヨーロッパの能力強化)」と題する決議案を可決した。
https://www.aldeparty.eu/sites/alde/files/40-Resolutions/2019_improving_europes_capabilities_to_address_the_rise_of_china.pdf

この決議案は、中国が台湾への内政干渉を強め、台湾の民主主義の破壊を図ろうとしていること、台湾の世論を無視して中国統一という目標を遂行しようとしていることなどに懸念を示すもの。中華民国外交部(日本の外務省に相当)は、「決議案の可決は、台湾と欧州が民主主義や自由主義という価値観を共有していること、双方の協力が民主体制にとって重要なことを浮き彫りにするものであり、外交部としてはこれを高く評価し、感謝したい」とコメントしている。
 
決議案は、台湾で2020年1月11日に行われる総統選挙に対し、中国が影響を与えようと企てていることを強く非難。それと同時に、選挙の結果が真に台湾の世論を反映したものとなるよう、欧州諸国が専門的な経験に基づき、台湾がフェイクニュースに対抗できるよう支援するべきだと呼びかけている。決議案はまた、中国が国家資本主義と一党独裁制度により、西洋の民主主義で開かれた社会に取って代わるモデルを確立しようと試みていると指摘。欧州自由民主同盟は、中国による人権迫害や、香港やウイグル情勢、それに中国が掲げる経済圏構想「一帯一路」による投資拡大がバルカン半島や欧州連合(EU)内部に与える影響にも懸念を示し、欧州連合及び会員国が中国に対して一致した外交政策を講じることで、人権、法治、自由社会による市場経済体制を維持するよう呼びかけている。
 
欧州自由民主同盟は、欧州各国の自由あるいは民主派の政党による連合体であり、現在は欧州議会で第三の勢力を持つ院内会派。欧州理事会の議長就任が決まっているベルギーのシャルル・ミシェル(Charles Michel)氏が所属する政党が、極めて大きな影響力を持っている。
 
中国は近年、「一帯一路」など関連の統一戦線を通して、中国の専制統治の思想を海外へ輸出し、民主社会への影響力を強めようとしており、欧州の主流の世論はこれに強い懸念を示している。外交部は今後も欧州の理念の近い国々とのパートナーシップを強化し、共通の価値と利益を守っていきたい考え。

2019/11/04 |Taiwan Today
https://jp.taiwantoday.tw/news.php?unit=149&;post=165243
0003七つの海の名無しさん垢版2019/11/05(火) 23:54:43.69ID:UeRmLu2g
『パトリス・ルムンバの暗殺』

1961年1月17日午後9時40分過ぎ、コンゴのカタンガの森の中でパトリス・ルムンバは
ベルギー軍憲兵たちによって、銃殺されました。35歳。

この暗殺を“二十世紀で最も重要な暗殺”と呼ぶジャーナリストや学者がいます
ルムンバを殺した同じ力が同じ理由で、10月20日、リビアのカダフィを殺しました

ルムンバの暗殺に関する最も重要で決定的な書物は Ludo De Witte 著の『The Assassination of Lumumba』
この本の影響で、2002年2月、ベルギー政府はパトリス・ルムンバの暗殺について正式にコンゴの人たちに謝罪の声明を発表しました。
アメリカ政府は謝罪していません。これからもしないでしょう。

アフリカ問題についての【権威者とされている白人たちの多くが如何に見事に米欧の新植民地主義、
帝国主義的政策の走狗として奉仕】しているかについての実感があります

DRC(コンゴ民主共和国)の、そしてまた、アフリカの経験では
【繰り返される暗殺はアフリカの人々の真正な自己自決を圧殺】するためのものであった

これらの犯罪の中でも、ルムンバの殺害とその隠蔽は今もアフリカ全土にわたって響きわたり、
【集団大虐殺的な政治と経済状況の繰り返しのパターンからの脱却】を求める叫びとなっている。

ルムンバは民主的に選出されたコンゴの最初の首相であった
コンゴ民主共和国は1960年6月に独立を獲得したが、
ベルギーの植民主義者たちが望んだのは独立後の状態が植民時代の状態から変わらないことであった。
0004七つの海の名無しさん垢版2019/11/05(火) 23:54:56.41ID:UeRmLu2g
ベルギーは、ヨーロッパでは内部分裂した社会を抱える小国だが、
コンゴでは独立以前から、コンゴを支配する大君主のような地位に立つことを成し遂げたつもりであった
そのベルギー人たちの目から見て、ルムンバの犯した許し難い罪は、
1960年6月の独立記念式典でベルギー国王の行なったスピーチに反論したことであった

【[国王のスピーチは植民地時代の所業に対する一片の謝罪もなく、むしろ、ベルギーはコンゴに文明をもたらしたと、
過去を恩着せがましく正当化する厚顔無恥の内容だった。それに対するコンゴ人たちの当然の反発を反映して、
コンゴの大統領カサブブは既に用意していた祝辞原稿から前宗主国ベルギーに対する儀礼的な感謝の言葉を含む部分を大きく削除し、
また、祝賀式典のプログラムにはなかった首相ルムンバの発言が急遽追加されたのだった。]】

ルムンバは【ベルギーの使命がコンゴ人たちを文明化し近代化することであったという主張を受容することを拒否】したのであった。

ルムンバは独立から2ヶ月もたたない内に首相の座から追われ、自宅に監禁された
彼は脱走したが捕えられ、殴打され、拷問にさらされ、挙句の果てに惨殺された。
この【暴行、拷問、殺害のパターンは今日まで、ルムンバの暗殺から50年後の今に至るまで続いている】

ルムンバの暗殺の時以来【真の独立の道を辿ろうとしたアフリカ人指導者のほとんど誰もが暗殺された】

指導者たちに対する暴力は、アフリカ人の抑圧とアフリカの資源の略奪に反対の声を挙げたジャーナリスト、学生、
野党指導者、社会勢力に対する脅迫と暗殺行為を同時に伴った。
0005七つの海の名無しさん垢版2019/11/05(火) 23:55:07.38ID:UeRmLu2g
マルコムXはコンゴにおける大虐殺の詳細を明らかにすべしとアメリカの学者たちに迫った。
1964年11月24日ブルックリン・カレッジで行なわれたこのやり取りは広く伝えられたが、
教授たちはマルコムXに反論して、彼の発言は人騒がせに過ぎず、
レオポルド王は人道主義的事業を展開してアフリカ人を文明化したと言い立てた。

元米国下院議長ニュート・ギングリッチを育てた知的環境とはこうしたものだったのだ。
ギングリッチは、テュレーン大学で、ベルギーがコンゴで果たした文明化の役割に関する博士論文を書いた。
ウィスコンシン大学のアフリカ研究センターのような幾つかの学問中心にはコンゴ政治専門の学者がたむろしていた。
それらの教授たちの学生であった人々が、過去40年間、US の官僚とアカデミアの世界に君臨を続け、
アフリカ現代化理論とアフリカの“部族”社会の不機能論を再生産し続けて来たのである

1964年ジョンソン政府がコンゴの二度目の独立闘争を流産させようとして
外国傭兵隊の支援に乗り出した後に、マルコムXはAbdurrahman Babu とチェ・ゲバラと会合した。
その会合で、コンゴとさらにはアフリカにおいて自由解放の計画を立てるという政治的動員を乗り越えて
行動をおこすための戦略で彼らは一致した。三人の偉大な自由の戦士たちのこの歴史的会合から4ヶ月後に
マルコムXはハーレムで銃弾に倒され、続いてCIAはチェ・ゲバラを追いつめて殺害した。
ジョン・F・ケネディは、1963年11月、全世界にわたる死への傾斜を推し進める産軍共同体と情報機関の勢力によって暗殺された。
0006七つの海の名無しさん垢版2019/11/05(火) 23:55:19.55ID:UeRmLu2g
ルムンバの暗殺以来【ヨーロッパと北米の主流の知的著作やメディアはルムンバが暗殺された時の状況を隠蔽し、歪曲】してきた。

国連の元職員たちはその当時コンゴに関与していた国際的機関の行動決定の過程に
アメリカ合州国が及ぼした影響について多数の書物を書いている。

【暗殺を隠蔽するために主要な国際機関が操作された事実】の記録は各種の権威筋によって確立されている。
アメリカ合州国はコンゴ問題に関して国連を操作していたから、ヨーロッパ人傭兵隊の排除に国連の介入を要求していた

パトリス・ルムンバとクワメ・エンクルマは【当の国連がそのヨーロッパ人傭兵隊と彼らを雇った
”ベルギー、フランス、アメリカ合州国の雇用主たち”を支援】していることを見出したのだった。

当時、国連の事務総長だったダグ・ハマショルドがこの事実に目覚めた時、彼自身もまた暗殺された。

アメリカ合州国とCIAのこの無神経な行動にあきれ果てた多くの国連情報部員が
カタンガ地域の傀儡政治家ムース・チョンベとカタンガのコンゴからの離脱についての強欲下劣の物語について書いている。
0007七つの海の名無しさん垢版2019/11/05(火) 23:55:37.41ID:UeRmLu2g
ロシアを負かし「中東アフリカに希望・民族自決意識」を齎した日本軍
欧米諸国を負かし「アジアに希望・民族自決意識」を齎した日本軍

いまだに自称ユダヤ=キリストカルト教徒=ハクジン=共産党員=コリアンは
日本軍の偉業・日本ジェノサイドに対する謝罪や正しい歴史認識を表明する事から逃げている
慰安婦問題という「強姦・人身売買連合国&コリア」の連携もそうだ

人権・平和と喚きながらやっている事は被害国を攻撃、改竄、偽証、すり替えテロ
何も変わらない「ハクジン=シナコリアンという害獣・寄生虫」のおぞましさよ
0008七つの海の名無しさん垢版2019/11/05(火) 23:56:14.80ID:UeRmLu2g
「コンゴに学ぶこれからの日本」(ねず

>ヨーロッパ諸国が介入し、1996以降のわずか19年で600万人が亡くなったコンゴ

コンゴは、15世紀の終わり頃までコンゴ王国として近隣諸国とさかんな交易も行われる平和でたいへんに栄えた国だった
それがなぜ、いまだに内乱の中にあるのか。実はそこに植民地支配の恐ろしさがある

>コンゴ国内にポルトガルの奴隷商人たちが、大量に入り込み出した

コンゴは、もともと貿易立国していた商業国で欧州経済をいち早く受け入れることができるだけの土壌も育っていた
けれど、コンゴ人がコンゴで行う商売と、外国人がコンゴで行う商売は、その本質がまるで異なった

>コンゴは歴史ある王国で、自然の愛国心や、愛郷心が育まれており、一定の規律は守られていた
ところが、外国人であるポルトガル商人たちには、そうしたコンゴへの愛国心も愛郷心もない
あるのは、欲得だけ
そして彼らは、あらゆる方法を使って自分たちの行いを正当化し、多大な影響力を持つようになっていた

>ついにコンゴは、アフリカにおける最大の奴隷貿易の中心地に
コンゴの民衆も怒りました。
当然だろうと思います。
ある日突然、家族が、子供達が白人達に追いかけ回されて網ですくわれ、
拉致され、奴隷、つまりモノとして勝手に売買されてしまうのです
0009七つの海の名無しさん垢版2019/11/05(火) 23:56:30.59ID:UeRmLu2g
>それでもコンゴ人達は、敬愛する国王を信じ、事態が必ず解決し、いつか拉致された人々も国に戻れる日が来ると信じた。
そして、そんな日が来ないまま、コンゴ国王が永眠してしまった(毒殺されたという話もある)

>国王が亡くなると、コンゴの民衆は、ついに暴発。民衆は反乱し、暴動が相次いだ

>ところがその頃のコンゴには、もはや民衆の暴動を鎮圧できるだけの力は残っていなかった
博愛主義を説くキリスト教によって、コンゴ国王の武力は否定され、コンゴ国軍は、ほとんど解体状態となっていた
しかも適齢期の若者達は、男女を問わず奴隷狩りにあって、その多くが連れ去られている

>圧倒的な軍事力を持ったポルトガルの従属国となった
属国となっても、コンゴ王国は、細々と存続し続けた
けれどそれは国として存続したというよりも、国王を名乗る家がコンゴ地方内に存続していた、というだけの情況というべきもの
国は荒れました。
ほとんど無政府状態で、武装した奴隷商人達がほしいままに闊歩し、贅沢な暮らしを満喫し、
コンゴの民衆はひたすらそれにおびえながら、極貧生活を余儀なくされる状態となった

>こうして300年が経ち、この情況に変化が起きたのは、1885年
ベルリン会議の決定によって、ベルギーが、コンゴの新たな支配者となった

ベルギー国王のレオポルド2世は、コンゴを「コンゴ独立国」とし
自身でコンゴの元首となり、コンゴを自由貿易の国としたが、土地も人も一切合切、レオポルド2世の私有物
ベルギー領となったコンゴの政府は、ベルギーのブリュッセルに置かれコンゴにはない
0010七つの海の名無しさん垢版2019/11/05(火) 23:56:46.38ID:UeRmLu2g
>実際には私有地、私有財産にすぎないのに、カタチだけは独立国、
>ですから【英国人達は、これを揶揄して、コンゴのことを「Congo Free State(コンゴ自由国)」と冷笑した】
>いまでも当時のコンゴのことを「コンゴ自由国」と呼ぶ学者がいますが、酷いことです

>ゴムの需要が高まり、ベルギー人達は、コンゴ人達を使って、徹底的にゴムの採取を行った。
ところが、そうした生産高を上げるために、現地で何が行われていたのか。そのために何が行われたか。

>ゴムの採取を強制するために、黒人たちから女子供を人質にとり、
>仕事を効率よく進めるための鞭打ちでコンゴ人労働者を死に至らしめ
>さらにノルマを達成できないと、その人質にとった女子供らの右手を、見せしめとして切断するという罰を与えたのです。

>ここまでくると、コンゴ人達も黙っていません。
中には集団で徒党を組んで反乱を組織するコンゴ人も出てきます。

こうした反乱ゲリラを鎮圧するために、白人達が何をしたかというと、
周辺に住む未開の部族達を徴用し、公安軍を組織したのです。
この「少数民族を利用して現地の人々を統治する」という手法は、植民地支配では、ごく一般的に行われてきた統治手法です。
0011七つの海の名無しさん垢版2019/11/05(火) 23:56:58.74ID:UeRmLu2g
>蛮族たちが任務を果たしている証拠として、
懲罰のために切り落とした手首の数によって昇級や賞与の額が決められるようになりました。
すると村人たちは、この取立から逃れるために、他の村人たちを大量殺人して、手首を集めてくるようになりました。
こうして手首は、それ自体が価値を帯びるようになり、一種の通貨にさえなったといいます。

>コンゴが、ベルギー領コンゴとなったのは1885年のことです。
そしてコンゴが、ようやく独立を果たしたのは、昭和35(1960)年のことです。
その間、わずか75年の間に、コンゴで虐殺された人の数は、1000万〜1600万人であったといわれています。
コンゴが独立したときの人口が1400万人であったことを考えると、これは恐ろしい数です

しかし、せっかくのコンゴの独立も、独立からわずか1週間で、内乱とベルギー軍の介入によって崩壊してしまう。
こうして始まったのが「コンゴ動乱」です。

>「コンゴ動乱」は、国連が支持し、民主化を促進しようとするムルンバ大統領派と
ソ連やキューバに後押しされたコンゴ国軍が対立するという構図となりました。
さらに国内を二分しての民族紛争がこれに重なり、コンゴはこの後約5年間、動乱に継ぐ動乱の時代となったのです。
そしていまもなお、コンゴは戦場の中にあります
0012七つの海の名無しさん垢版2019/11/06(水) 11:37:26.55ID:7oJkEkzo
日本も口先だけでいいから共産中国への非難決議を出せよ
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