【フィリピン】マニラ市長に死の脅迫状[7/18]
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マニラ市長に死の脅迫状
今月の市長就任以来、首都圏マニラ市の清掃に力を注いでいるモレノ市長の元に、死の脅迫状が届いている。
同市議会のサルカル議員が明かした。同議員によると、市長は「縄張りなどに絡んだものだ」として脅迫を一蹴。
同議員は路上の物売りや商売を営んでいた人など、市長による路上清掃の政策で何らかの影響をこうむった人物が脅迫状を送ったとみている。
同市ではこれまでにディビソリア、レクト、カリエド、エバンヘリスタなどが清掃の対象となってきた。(15日・Pジャーナル)
まにら新聞
http://manila-shimbun.com/tabloid/tabloid1563202800.html 清掃ってゴミ拾いのことではなく、露店とかの撤去のことかな 雨の日にディヴィゾリアに行ったら、排水溝をわざと詰まらせて道路を冠水させ
そこに板を渡して歩行者から通行料をとるやつがいて、うまい商売だと感心した ほい、マニラ^^
『植民地フィリピンの慰安所』
アメリカ本国は全国レベルでは公娼制を持たなかったが
イギリスと同様植民地で公娼制度を導入した
米西戦争でスペインに勝利したアメリカが1898年にフィリピンを占領してからは
売春宿が蔓延し、また米軍は、現地の娼婦の検診を施したため、宣教師がこれらを訴えた
1902年4月、キリスト教婦人矯風会(WCTU)のマーガレット・エリスが
【マニラ管理売春や児童買春】の実態を報告するなどフェミニズムからの抗議を受け
米国政府は性病検査と検査料金徴収を中止するとしたが、
ルーズベルト大統領は現地娼婦と軍との関係を不明瞭にし、これは【診断料や診断証明書の料金がなくなっただけ】なのが実情であった
のちにマーガレット・エリスと政府とのあいだで裏取引が発覚しており
その後も米軍慰安所は実質的に存続し、フィリピンで売春街を紅灯街に限定するようにし
性病検査を継続しながらも【アメリカ政府が公式に関与していないように努力】した
アメリカン・プランとは、米軍の兵営5マイル以内では、どんな女性でも逮捕でき
その女性の市民権を停止することができる軍隊保護法であった
市民権を奪われたあと女性に性病感染が発見されると、強制収容され
終戦までに【1万5520人の女性が逮捕収監】された
この保護法は性病から兵士を保護する目的であり、逮捕収監は合法であったため【兵士で処罰されたものはいない】
米軍が利用した売春宿と性病検査はその後も第二次世界大戦、ベトナム戦争
1990年代の米軍の一時撤退まで継続し、廃止されることはなかった
また、アメリカ人女性、フランス人、イタリア人、ロシア人、ユダヤ人の白人娼婦もボンベイ、
シンガポール、サイゴン、香港、上海、ハルビン、マニラなどで就業した ハワイもどうぞ
アメリカ軍慰安婦
アメリカ軍は1941年米陸軍サーキュラー170号規定において、
「兵士と売春婦との接触はいかなる場合でも禁止」されたが、【実際には買春は黙認されていた】
米海軍の根拠地であるハワイでは「組織的売春」が設置され登録売春宿(慰安所)が設置されていた
【当時人口約26万人だったハワイに、100万人とも言われる兵士と10万人近い新しい労働者たち】がやってきた
軍需景気に沸くかたわら、男女比は著しく不均衡[若い女性一人に対する
同年代の男性の割合が150人から1000人となった]となり
アメリカ本土では1941年に兵士に対する売春行為が禁止されていたにもかかわらず、特例的に認可される程であった
こうした現象は【地元の女性にとっては脅威となり、アメリカ人兵士によるレイプ犯罪は後を絶たなかった】
1942年に【フライング・タイガースが性病感染で有名な売春宿】のせいで
「空軍の半数が飛べなかった」とのセオドア・ホワイトの証言がある。
1943年夏のシシリー島占領後は、【ドイツ・イタリア軍の慰安所を利用】
太平洋戦線では娼婦をインドで集め慰安所を設置していた ※分かり易いキリスト教徒=ユダヤ教徒の例
偽証からの逆切れ・拉致拷問殺害は正義であり、大量強姦は常識・無罪
恥も贖罪意識も持たず「慰安婦は甚だしい人権侵害」と被害国日本に対し喚く事からも
カルト教徒は何千年経とうがその非人道的考えから脱する事は無い
1931年9月、トーマス・マッシー中尉の夫人タリア・マッシーが
ハワイの地元の若者集団「カリヒ・ギャング」に暴行を受けたとして訴え、5人の若者が容疑者として逮捕された(マッシー事件)
タリア・マッシーはこの5人に間違いないと証言したが
【弁護側が5人のマッシー夫人の証言とは矛盾する材料を証拠として提示】したため「陪審不一致」として5人の若者は無罪となった
この事件はアメリカ本土でセンセーショナルに報道がなされ
「ハワイの警察制度は古臭く、治安を維持する能力に欠ける」といった世論が形成された
マッシー中尉はこの結果を不服として
【仲間と共に容疑者の一人ジョセフ・カハハワイを誘拐、拷問の末、殺害】した
陪審は加害者マッシーらを懲役10年の有罪としたが
世論はこの行為を「正当防衛」「名誉ある殺人」としハワイの裁判過程に不満を評した ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています