また、老後の備えにも差が目立つ。高齢化・少子化で年金が目減りし始めたのは両国に共通の現象だが、ドイツは日本と違って、老後のための貯蓄が乏しい。これまで年金額が充実していたことがかえって仇になっている。しかも、老人ホームは高く、また、日本のように特養(特別養護老人ホーム)という万人のための施設もない。だから、最近、にわかに高齢者の貧困までが問題化しつつある。かといって、日本のように、高齢者のところにお金が溜まり過ぎているのも考えもの。これは、相当、景気の足を引っ張っているのではないか。

◇日本の老後は、実は恵まれすぎていた!

両国を比較する意義は、まだある。日本での「当たり前」が、実は、当たり前ではないということに気づく。今回、日独で比べた結果をいうなら、日本の方がドイツよりも恵まれていると感じることは多かった。とくに、医療のコストパフォーマンスが良い。なのに高齢者も高齢者予備軍も、自分たちが恵まれていることにも、そのしわ寄せが医療従事者や介護の現場にかぶさっていることにも、あまり気づいていない。中でも、一番の被害を受けることになるのが、それを経済的に支えることになる現在の若者だ。ただ、これらのアンバランスを完全に手遅れにならないうちに是正しようとするなら、それができるのは彼らではない。私たち「高齢者予備軍」が、まだ、からくも冷静な頭脳を使い、自分のことではなく、未来の社会のこととして考えていく必要がある。

◇若者へ豊かな社会を残すために、すべきこと

老後について思い描く光景は千差万別だ。ドイツで満点なイメージは、収穫した麦が一杯に詰まった納屋だそうだ。乾いた麦の匂いには、人生の思い出が凝縮されている。夏の太陽に焼かれながら働いた日々。刈り入れの目前、嵐に心を痛めたこと、凍いてついた手。そして、収穫の感激。しかし今はすべてが過ぎ去り、時が静かに流れていく……。何とも満ち足りたイメージだ。これを日本に置き換えるなら、田んぼに干してある稲穂の列が、秋の夕日に照らされて黄金に輝く風景だろうか?

しかし、収穫がたわわにあるのはいいとしても、私にはいずれもあまり理想的だとは思えない。「では、裸になった田んぼや畑はどうなるの?」と考えてしまう。再生産のための栄養さえなくなってしまった土壌から、次の豊かな収穫は期待できない。

2015年、東京で、年金の支給額の減ったことを憲法違反だとして訴えた人たちがいた。その気持はもちろんわからないわけではないが、でも、やはり自分勝手のような気がする。日本もドイツも、将来の世代は生き延びられるのだろうか?

私のドイツでの生活は、今年で36年を突破した。老人ホームはドイツでも日本でも見てきたし、実は、娘の一人は、介護士の資格(日本でいう看護師と介護士を合わせた資格)を持っている。実習は、シュトゥットガルト、神奈川県、そしてハンブルクの病院で行った。資格を取ってからは看護師としてハンブルクとロンドンの病院で働いていたが、今はそれを辞め、あるドイツのNGOで、医療保険制度からこぼれ落ちてしまっている人たちの救済に携わっている。なぜ、病院勤務を辞めたかという理由は、追い追い本書で触れていくことになるであろうドイツの病院の抱える問題と、ぴったりと重なる。

結局、本書の中身は、「快適な老後」ではなく、以上に挙げた諸々の社会的問題、そして、構造改革や思考の転換についての提案が最優先となった。早く手を打たなくては、次世代にこの豊かさを引き継ぐことができないという私の焦りを、できることなら、一人でも多くの人と共有したい。そうすれば、深刻な状況の中にも、一条の光を見出すことができるのではないかという仄かな期待を、今、私は抱いている。

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