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二・二六事件=皇道派の目的と背景は、その後の東條英機=統制派の「国家社会主義」とは異なり、
最終的な目標は「自由主義」と「民主主義」の実現だ

最大の相違点

・二・二六事件が長引く中国戦線を終結させ英米と協調しソ連を抑え、五箇条の御誓文の誓約を履行するために「自由主義・民主主義」国家に日本を戻すことを目指した
・東条英機、辻政信等の統制派(木戸幸一等の重臣が支持)は満蒙権益維持をかかげ欧米との最終戦争を念頭に戦争遂行のために国家総動員体制を目指し、寡頭制・一党独裁の(共産主義から影響を受けた)国家社会主義経済を目指した

歴史の教科書を覚える記憶力があるなら戦争が統制派により始められたことは常識

1936年以前から統制派=東條・辻・永田は戦争をけしかけ扇動していた

1928-04 第二次山東出兵
1928-05 済南事件
1928-06 張作霖爆殺事件
1928 治安維持法改正

・北一輝が一連の治安維持法関連・報道規制・重臣会議による内閣決定・軍閥・過度な市場独占の流れが五箇条の御誓文に反すると考える一端となる

1930/1931 昭和恐慌、世界恐慌、昭和農業恐慌、小作争議

・恐慌により農村出身者の兵士や、青年将校が国内の惨状にも関わらず戦争を起こした統制派に敵意をいだき始める
・当時、総理大臣だった立憲民政党の濱口は大恐慌時代の舵取りを財政緊縮と金本位体制、産業合理化で乗りきろうとし
致命的な経済運営で多数の国民を苦境に追い込み、高橋是清が大蔵大臣になるまでの民政党の2年間は
日本国民に巨大な混乱を生じさせ、満蒙を日本経済の生命線とする理解不能な政治的空白を生んで軍閥が武勲争いに興じる序章となった

1931/09 満州事変(中華民国と開戦)

・石原莞爾は欧州視察にいった後に欧州出羽守に転じて、世界最終戦争という妄想を広めて統制派に注目される

1931/09 柳条湖事件(統制派の石原莞爾が鉄道を爆破)
1932/01 第一次上海事変
1933 国際連盟を脱退

・親英米の皇道派将軍が、軍部の対英米・親ソ連・親独に危機感を持ち始める

1934 帝人事件(汚職、起訴されるも全員が無罪)
1934/11 陸軍士官学校事件(東條英機、辻政信等が青年将校を失脚させるために罠に陥れる)

・比較的恵まれていた青年将校の実家でさえ零落したり、幼馴染等の姉妹が売られ、家族で心中を図った惨状にも関わらず汚職まみれだった当時の政治家・官僚・軍幹部に対して憤激
(第4次産業革命や、企業の前近代的な封建的体質により低下する産業競争力によって、国が貧しくなることで状況は酷似してくる)

1935 八・一宣言、抗日宣言
1936/02 二・二六事件

戦後に二・二六事件の歴史改変をした辻政信や左翼、NHK等によって誤解も多いが
多くの自衛官はこれよりも遥かに事件背景のみならず北の思想・信念・神秘性の詳細にわたり把握しているから不思議ではある
私利私欲を滅し、腐敗し戦争を起こそうとする悪党を滅ぼすためのクーデターを実施したわけで、そのために宗教家も深く関わることになる
(だが宗教は島国宗教では国際的に否定されるだけであるため、キリスト教でなくてはならない)

おそらく自衛官の中で二・二六事件や北の思想を教え伝え学習する慣習があるのは間違いない

それにしても、悪党に一切の情けも猶予も与えるべきでなく大量の流血がなければ、何もなせないことを後世の教訓とはなった