第二次大戦中のアメリカ。

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http://i.imgur.com/6Z5SdFO.jpg

アウシュビッツに1944年、国際赤十字が視察に訪れていることはご存知でしょうか。
そこで国際赤十字は施設を見て回り問題が無いという評価を下しています。
また1945年(戦争終結の年)になると国際赤十字の職員が常駐。
国際赤十字からの支援物資が多数届いており、終戦直前のアウシュビッツは栄養状態などに問題が無かったようです。
(他の収容所ではドイツの戦争状況から補給が途絶えたところもあった)
視察や職員常駐の際に国際赤十字から虐殺についての報告はされていません。
1995年に国際赤十字は当時の対応に対する謝罪を行っています。

施設内で収容者同士の結婚も行われています。
結婚した収容者は一緒に暮らすことが出来ましたので当然子供も生まれるでしょう。
施設での妊娠出産も許されていました。
新生児3000人という話もありますが、こちらは根拠となる資料が見つからないので断言は出来ません。

アウシュビッツには子供専用の収容棟がありました。
壁に白雪姫が描かれていたかどうかは申し訳ありませんが存じません。
※解放直後とされるアウシュビッツの子供たちの写真
http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/b/bb/Children_in_the_...
飢餓状態ではなさそうなのは赤十字の支援物資が届いていたからでしょうか。
洗濯や入浴については具体的なことは判りません。
しかし不衛生な状況から病気や虱などの虫の被害が蔓延したそうです。
戦後に収容所から大量の殺虫剤が発見されているので駆除などは行われていたようです。

暖房は簡素なものですが設置されています。
これについては「アウシュビッツは元はポーランド軍の兵営だったので」元々設置されていたのだとされています。
バラックのため隙間風が入り込むので暖房があっても暖かいわけではなかったようです。
なおアウシュビッツには合成ゴムの工場があり、品質も良かったようです。
収容者は工場で働く労働者でもあり、働きの良い者はそれなりの待遇を受けています。

他では連合軍がドイツ攻撃して街を破壊し市民を虐殺した結果、物資が収容所に届け
られなくて餓死したらしいです