このスレでスターリングラード戦に興味ある方は
大著だがぜひこの小説を読んでいただきたいです
値段が高いので図書館で借りるといいでしょう
(蔵書されてないなら購入か他館からリクエストしてみては)

 戦争は、すでに戦前にひそかに進んでいた現実の再解釈というプロセスを加速した。
民族意識の出現を加速し、《ロシアの》という単語が、ふたたび生き生きとした内容を獲得した。
 当初、退却が行われていた時には、この単語は多くの場合、否定的な定義づけと結びついていた。
たとえば、ロシア的な停滞や大混乱、ロシアの悪路、
《まあ、なんとかなるさ》というロシアの宿命論的な諦念・・・・・・
しかし、いったん頭をもたげた民族意識は、軍事的な祝祭の日がくるのを待っていたのである。
 国家もまた、新しい範疇に属する自意識に向かって動いていた。

 民族意識は、国民的な災厄の日々には素晴らしく屈強な力となる。
そのような時の民衆の民族意識が素晴らしいのは、それが人間的なものだからであって、
民族的なものだからではない。それは民族意識という形で表現された人間の気高さ、
自由に対する人間の誠実さ、善に対する人間の信頼なのである。

 しかし災厄に見舞われた時代に目覚めた民族意識は、さまざまな形をとって発展しうる。
 国際主義者やブルジョア民族主義者から組織の職員を守っている人事部長と、
スターリングラードを死守している赤軍兵士とでは、民族意識が違った形をとって表れるのは言うまでもない。
 戦後、大国としてのソヴィエトの現実の中で、民族意識の覚醒は、
日常生活において国家が直面した諸問題――民族主権の理念のための闘いや生活のあらゆる面での
ソヴィエト的なものやロシア的なものの確立の闘い――と結びつけられた。

 こうした課題はすべて戦時中や戦後になって不意に生じたのではなく、農村のさまざまな出来事や
自国の重工業の創出、新しい幹部要員の登場が、スターリンによって一国社会主義と規定された
体制の勝利を意味していた戦前に、すでに生まれていたのである。

 ロシアにあった社会民主主義の母斑は、除去されてなくなってしまった。

 そしてまさに、スターリングラードで転換点が画された時に、スターリングラードで燃え上がる炎が
闇の帝国における唯一の自由への導きの光だった時に、その再解釈のプロセスが公然と始められた。
 論理的帰結として、スターリングラード防衛時に熱情が最高潮に達した国民の戦争は、
まさにこの時期に、国家ナショナリズムのイデオロギーを公然と宣言するチャンスをスターリンに与えた。

人生と運命 3
ワシーリー・グロスマン著 齋藤紘一訳 (みすず書房刊)P87より

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作品の概要