考古学研究チームによって新たに発掘された。モチェの政治や儀式の様子が浮き彫りになると同時に、
突如として消滅した謎を解明する手がかりになる可能性もある。
モチェはアンデス山脈と太平洋の間に広がるチカマ渓谷の砂漠地帯で紀元100〜700年ごろに栄えた文明。
今もそびえる巨大ピラミッドや高度な農耕技術のほか、人をいけにえにする伝統でも知られる。
考古学チームはランバイェケ地域にある遺跡の発掘調査で、新たに2つの部屋を発見した。
このうち階段の先にある宴会場は、2つの王座が互いに向き合う構造をもち、
有力者が賓客との食事会に使っていたと思われる。壁には魚やアシカの壁画が描かれており、
自然主義的な様式は、モチェの陶磁器で一般的に見られる超自然芸術とは対照をなす。
もう1つの部屋は宴会場につながっていて、円形の演壇があった。
統治者がこの壇上から発表を行っていたと思われる。
モチェは過酷な環境の中で高度な灌漑(かんがい)用水路を張り巡らしてトウモロコシや豆類、
イモ類などの耕作を行い、沿岸部の350キロあまりの範囲に定住していた。
文献は残していないものの、陶磁器や黄金の芸術作品に描かれた動植物や兵士などの姿からは、
社会習慣をうかがい知ることができる。性行為をかたどった工芸品や、
狩猟やいけにえの儀式を描いた図像もある。
しかし饗宴(きょうえん)の様子はこれまで、
陶磁器に描かれた2次元の文様でしか確認できていなかった。
モチェ遺跡に詳しい博物館館長は今回見つかった部屋について、
「陶磁器に描かれた内容と完全に一致する」と述べ、
そうした饗宴が実際に行われていたことが確認されたと指摘する。
埋葬地の発掘では、ばらばらにされて頸椎(けいつい)に印がつけられた遺体も見つかった。
首を切断され、いけにえの儀式に使われていたと思われる。
頭蓋骨(ずがいこつ)が泥の中に埋められていたことから、めったに降らない雨を祝う儀式の中で、
いけにえをささげていたと専門家は推定している。
モチェの遺跡では、金に覆われ、武具を身に着けた女性のミイラも2005年に見つかっており、
モチェの女性は政治的、宗教的に高い地位にあったと推定される。
このミイラは副葬品の多さや両腕と両脚にタトゥーがあることから、
地位の高い司祭か統治者だった可能性もあるとみられる。
モチェ文明は今も多くの謎に包まれている。
砂漠の中に高度な文明を築いていたにもかかわらず、
紀元700年ごろに突如として消滅した理由は分かっていない。
ある研究者はエルニーニョ現象が引き起こす自然災害によって滅びたと考える。
ペルーではエルニーニョ現象が引き金となって定期的に大規模な洪水が発生している。
また、人民の不満が高まって体制の崩壊につながった可能性も指摘されている。
画像:2005年に発見された女性のミイラの復元骨格
https://www.cnn.co.jp/storage/2018/01/22/1b993d33327b3912871920c2eb61080f/moche-lady-cao-skeleton-exlarge-169.jpg
画像:ペルーの古代文明モチェの遺跡を発掘。海の生き物が描かれた壁画を調べる
https://www.cnn.co.jp/storage/2018/01/22/4f9d09558dd0311134bdcdd5e56a14fd/moche-mural-close-up-exlarge-169.jpg
CNNニュース
https://www.cnn.co.jp/fringe/35113518.html