Wiki(英語版)によると…

Salvator Mundiは、第二次仏伊戦争?の後にフランスがミラノ公領とジェノアの支配権を握ってから仏王ルイ12世と妃のアンヌ・ド・ブルターニュの為に描かれたのかもしれない。
レオナルド自身も、1500年にミラノからフィレンツェに移った。
この絵はHenrietta Mariaが1625年にイングランドのチャールズ1世に嫁いだ際に持っていったのかもしれず、グリニッチの彼女の個人的な部屋に残された。
1649年チャールズ1世がイングランド内戦に負けて処刑された後も
絵は王室のコレクションの目録にありその価値£30と記されていた。
その後王室関係者と個人の間を行ったり来たりし 
18世紀にバッキンガム・ハウスがジョージ3世に売られた際に
そこにあったこの絵はオークションに出され以後、
モンセラートの子爵であるコレクターのフランシス・クックが1900年に買うまで行方不明だった。当時は、前回の修復でダメージを受けていた為にレオナルドのフォロワーBernardino Luini.の作品と思われていた。
クックのひ孫の, Sir Francis Cook,が1958年に45ポンドで売ったが、
その時から2011年までこの絵はレオナルドの弟子Giovanni Antonio Boltraffioの作品と思われていた。