編集委員 小林明

2019/9/13

「貯金ゼロ。それが私の生きざまです」と前半のインタビューで明らかにした漫画家でオペラ歌手の池田理代子さん(71)。幼少期から学校の成績は抜群だったが、意外にも容姿にはコンプレックスがあったという。やがて漫画の神様、手塚治虫さんにあこがれ、漫画雑誌に応募した4コマ漫画を石ノ森章太郎さんが激賞。東京教育大(現筑波大)へ進学後は学生運動にのめり込み、大学1年で家出して家庭教師のほか美人喫茶のウエートレス、女子工員など様々なアルバイトを経験しながら、売れっ子漫画家として大きく飛躍を遂げる。「ベルサイユのばら」誕生の経緯なども含めて過去の軌跡を回想してもらった。


→【前回】オペラ歌手飛び立て 池田理代子さんが貯金ゼロの理由
https://style.nikkei.com/article/DGXMZO49297190S9A900C1000000?channel=DF280120166607


■最初のショックは「不細工」、空想と読書に没頭

――どんな家庭環境で生まれ育ったんですか。

「1947年に大阪で生まれた団塊の世代で、妹と2人の弟がいます。父は自転車メーカーの管理職。戦時中に南方に出征し、捕虜になって奇跡的に帰還したので私が生まれました。でも父は戦時体験について自分からあまり話そうとしなかったし、私もあえて聞こうとはしなかったので、詳しい経緯は分かりません。専業主婦の母からは『男に食べさせてもらわず、手に職を持ち、自力で生きていけるようになりなさい』と口癖のように言われて育ちました」

「最初にショックを受けたのは4、5歳の頃。周囲から『あんたの顔、なんでそんな不細工なん?』と言われたんです。2学年下の妹がかわいくて美人だったので、よく比べられてつらい思いをしました。縄跳びなど遊びでも私は友人からのけ者にされ、泣きながら見ていたものです。だから自然に自分の殻に閉じこもり、空想にふけったり、独りで本や漫画を読んだりするのが好きになりました。中学に上がる時、父の転勤で大阪から千葉県柏市に転居します」

――どんな本や漫画を読んでいたんですか。

「父が本好きで書棚にはたくさん本がありました。私は平家物語、太平記、源平盛衰記、本居宣長全集など日本の歴史物をよく読んでいましたね。シャーロック・ホームズの推理小説も好きでした。漫画雑誌は親に買ってもらえないので、友人の家で読ませてもらっていました。漫画で最も感動したのは手塚治虫先生の『つるの泉』。夕鶴を題材にした作品で、感動して涙が止まらず、食事ものどを通らなかったほどです。漫画には人を感動させる力があるんだと初めて知りました」

■手塚治虫「つるの泉」で開眼、石ノ森章太郎から4コマ漫画を激賞

――4コマ漫画が石ノ森章太郎さんに激賞されたそうですね。

「中学の時、起承転結の付いた4コマ漫画を初めて描いて漫画雑誌に投稿したら、石ノ森章太郎先生がとても褒めてくださり、賞品をもらいました。うれしくて『お会いしたい』と手紙を送ると、なんと先生から『遊びにいらっしゃい』と連絡があったんです。でも母に猛反対され、残念ながら行けませんでした。石ノ森先生は伝説のトキワ荘(手塚治虫、藤子不二雄、赤塚不二夫各氏ら人気作家が共同生活した豊島区のアパート)からはもう出ていたと思いますが、もし先生のアトリエにお邪魔していたら、アシスタントになるとか、もう少し違う人生が開けていたかもしれませんね……。後に石ノ森先生とそんな笑い話をした思い出があります」
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