【アニメ】 高畑勲監督の遺作「かぐや姫の物語」5月18日に金曜ロードSHOW!でノーカット放送
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月から迎えが来るところの音楽が笑えた
ギャグじゃん >>160
命じた武将が偉いんじゃなくて、築城した人達が偉い、みたいな。 >>155
つうかこれ見ると原作の完成度の高さ分かるよ
日本最古の物語と言われてるけど
それを現代アレンジすると駄作にしかならないな アニメーションの技術が無駄に高いのが勿体無いな
この技術でまともな脚本描ける奴がいるなら面白くなるのにな 結局何がいいたいのかさっぱり分からなかった
そういうとストーリーではなく表現を見てくれとかいう輩がいる
それなら、無駄なフェミ思想入れて、メンヘラっぽくかぐや姫を描く必要があったのか?
それをやるならキッチリとしたオチを考えればいいものを、オチは投げてただ月に帰るだけという…
それなら無駄なフェミ思想抜きに、1時間で原作のイメージのかぐや姫描く方がマシだったろう
この世の者とも思えない美しきなよ竹のかぐや姫を表現できてたとはとても思えない
あまりにフランクで普通の娘過ぎる かぐや姫だけに廊下をムーンウォークで移動
そしてマツコデラックスが迎えに来る
予想してなかっただけにハマった かぐや姫の物語はどういう物語だったのか
月に帰らないと行けないと分かった後ですね
糸紡ぎをお婆さんとするんですね
かぐや姫は天女の歌を歌うんですね
めぐれ、めぐれ、めぐれ、遥かな時を
廻って心を呼び返せ、々
人の情けを育みて、待つ年きかば、いざ帰えりこむ
(本当にあなたが待っていたら、すぐに私は帰ってきます)
で、そのシーン変な物が映ります
これ今回のテーマです
雁が飛んでいて、松が描いていて、向こうに分かりにくいですけど、富士山が見えます
富士山から煙が出てるんですね
富士山は西暦1010年頃1回噴火活動したので、平安時代の頭あたりですね
その海岸になんか男の人と子供が走っているシーンがあるんです
次のシーンで松の木の下で、男の人と子供が月を見ているというシーンです
これ何か?
分からなかったですよね 何でこれがあるのかって言うと
これは高畑勲からすると、
日本人だったら全員分かるはずだと
富士山があって、松があるから三保の松原でしょ
三保の松原で月を見て待っているって言ったら
天女伝説に決まってるじゃないですか
三保の松原で、ある漁師が天女が水浴びしているのを見たと
その時に羽衣を隠したと、そのおかげで天女は天に帰れなくなって
男の女房になって、やがて子供ができた
その後、漁師が隠した羽衣を見つけて
天女は天に帰ってしまった
漁師と子供は三保の松原に残されて
天女がまた帰って来てくれるんじゃないかと待っていると言う悲しいお話ですね
富士山と松原で三保の松原でしょ
それで男と子供が待ってるでしょ
天女伝説分かりますよね?羽衣ですって
分かる訳ねえよwwwwwって思うんですけど
これがクライマックスシーンで見せる映像なんです
この後、続けて流れるのが月の貴婦人です
月の貴婦人が歌いながら泣いている
これを見てかぐや姫は地球に対して憧れるようになった、ですね
(月の貴婦人)
これコンテにですね、いなくなった子供を抱くようにって書いてあるんですね
つまり、この人はですね、子供がいたんでけども、その子供がいた記憶さえ奪われてしまっている
記憶をずっと奪い続けているのが、この周りにいるティンカーベルですね
妖精達が奪っているので、だから何が悲しいのか分からなくて泣いていると 何かって言うと、もう一度子供に会いたいから泣いているんですね
だから、この手だけが赤ちゃんがいた空間を示している訳なんですね
で、それを見てかぐや姫は何故か地球に行きたくなったと
変なんですよ、何でかぐや姫が地球に行きたくなったのか以前に
何でかぐや姫が月にいたのかです
かぐや姫ってその時にちゃんと少女として月の世界で描かれているんですね
少女が子供が月の世界にいるはずがないんですよ
月の世界は不老不死なんですから月の世界は大人しかいないんですね
その世界で子供のかぐや姫がいるって事は何かって言うと
恐らく二人目の子供なんですね
三保の松原の漁師の
かぐや姫は
で、この女の人の子供で、月に来て生まれちゃったんですよ
だから、自分の母親とも分からないんですね
自分の母親とも分からない人が、もう一回地球に帰りたいと思って泣いているのを見て
同じ気持ちだーって分かるんですけど
かぐや姫は自分がそうい存在だと知らない
だからかぐや姫は地球に憧れちゃうんですよ
別に月の人が地球に憧れたんではなくて
当たり前なんですよ、地球人とのハーフなんだから
地球に憧れたって言うだけの話なんですね
でも、月で生まれたから不老不死になっていると でどうなるかって言うとですね
じゃあかぐや姫は地球に降りて来た
辛い事もありました、良い事もあったんですけど
捨丸兄ちゃんと空を飛ぶシーンがあります
抱いて!強く抱いて!って言います
包容って高畑勲監督はですね77才になって
包容と言う言葉を使うとは思わなかったって言って照れていて
コンテにも77年生きていて包容と言うのは初めて書きましたって書いてありましたけど
あの空を飛ぶシーンは、はっきりあれなんです(自主規制しましたよw)
あれしてそれを見つかったので罰を受けたって言うのがその〜、堕落
月に見つかって堕ちるシーンのメタファーなんです
あそこで、抱き合っているのがあれだって言う事は
だいたい見ている人の中で、そういう事が分かる人はだいたい分かると思うんですけど
その結果を考えない
かぐや姫の罰と言うのは何かって言うと
もう一回、月に帰る時にお腹の中に子供を宿している事なんですね
だからラストシーンでこれが出る訳ですよ
(月に赤ちゃん)
なんで、ラストシーンでこんなもんが出るのかって言うと
もう一回同じ過ちを繰り返すんですね
もう一回同じ過ちを繰り返して、かぐや姫と捨丸兄ちゃんの間に出来た子供は、又地球に行きたくなるんですね
だから、めぐり、めぐるって言うのがずっとつづくと言う話なんですね
めぐり、めぐると又同じ事がある めぐり、めぐって又地球に帰って来ますとうのは、何かというと
かぐや姫が帰って来ますと言う事じゃないです
この過ちは永遠に続いて、それは又地球人にとっては散々だったのかも分かんないですけど
なんで最後に赤ちゃんが出てくるのかって言うと
同じ様な存在が又地球を見ています
そして、彼女は地球に来たがるでしょう
なんでかって言うと、その子供は元々地球に憧れるべくして生まれた様な子供だから
月の世界の人間だから地球に憧れたんじゃないんですよ
かぐや姫だから憧れたんではなくて、元々地球人との間に生まれて
地球の血を継いだ子供だから、地球に憧れてかぐや姫は来たくなってしまっている
これを絶望と捉えるか、希望と捉えるかなんですね
そうやって、やっぱり出会うべきものでないものも出会ってしまった
そして、そこに何かある事が命だと
それを悪い事だと考えるのが月の人で
それは悲しい事かも知れないけど
私達の世界の出来事で語り継いで行こうというのが日本人の発想だ
だから又会える、同じ過ちを繰り返すと、あの歌ができているんですけど
これってマドカマギカなんじゃないのかなって かぐや姫がお爺さんとこお婆さんに言った
私は月からこの地に下ろされたものなのです
この意味だけが分からない
誰か教えて 月の人間なのに地球に憧れた罪によって地球に降ろされたんだよ 最後に月に赤ちゃんが映ったけどあの赤ちゃんは二人の子供なんだよ この作品の「アニメーション技術がすごい」って恩着せがましいトレーラーが
ガンガン流れてたのってマドカ叛逆が上映中の頃だっけ?
劇場でもらったディスクも観たか、観ずに処分したか記憶ない >>149
危ないもなにも、もろその路線狙って作られた
のだが。
女性の自立を主軸にしたポリコレ映画なんだわ。
昨今のディズニーヒロインに合わせてかぐや姫
もブスにした。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています