http://www.ghibli.jp/storage/000283/
鈴木 いろいろありましたよ。何しろ彼女は宮崎「駿」に映画化してほしいと言っていたわけですから。
まず宮さんが「今日は俺に話をさせてくれ」と、「ゲド戦記」への思いを話し始めました。「本はいつも
枕元に置いてある。片時も放したことがない。悩んだ時、困った時、何度読み返したことか。告白する
が、自分の作ってきた作品は『ナウシカ』から『ハウル』に至るまですべて『ゲド戦記』の影響を受けて
いる」と。そして「作品を細部まで理解しているし、映画化するなら世界に自分をおいて他に誰もいない
だろう」と言い切った。

しかしその直後、彼はこう付け加えました。「この話が20年以上前にあったなら、自分はすぐにでも
飛びついていたと思う。だが、自分はもう歳だ。そんな時、息子とそのスタッフがやりたいと言い出した。
彼らが新しい魅力を引き出してくれるなら、それもいいかも知れない」。そしてこう締めくくった。

「息子がやるであろうスクリプトには自分が全責任を持つ。読んで駄目だったら、すぐにやめさせる」と。


ジブリ映画「ゲド戦記」に対する原作者のコメント全文
http://hiki.cre.jp/Earthsea/?GedoSenkiAuthorResponse
2005年8月、スタジオ・ジブリの鈴木敏夫氏が宮崎駿氏とともに、わたしと息子(アースシーの著作権を保有する
信託の管理をしています)と話をしにいらっしゃいました。わたしたちは自宅で楽しくお話ししました。

そのときの説明によると、駿氏は映画製作から引退するつもりで、宮崎家とスタジオでは、駿氏の息子の吾朗氏に
この作品を作らせたいとのことでした。吾朗氏はまだ1本の映画も製作したことがなく、わたしたちは大いに失望
するとともに、不安を覚えました。ただしプロジェクトはつねに駿氏の承認を受けながら進められるという印象があり、
また実際、先方もそのように保証していました。こうした理解のもと、契約は締結されました。

その時点ではすでに映画の製作は進行しており、子供と竜を描いたポスターが贈り物として届けられ、駿氏による
ホート・タウンのスケッチと、スタジオ・アーティストたちによるその仕上画も同封されていました。

その後の映画製作は猛スピードで進行しました。間もなくわかったのは、駿氏が製作にまったくタッチしていないということでした。

駿氏からはとても心のこもった手紙が届き、さらに吾朗氏からも手紙が来ました。わたしもできる限りのお返事をしました。

この映画の製作に際して、太平洋の両岸で怒りと失望が生じたことは残念に思います。

後に聞いたところでは、駿氏は結局引退はせず、今は別の映画を撮っているとか。
このこともわたしの失望を大きくしました。早く忘れてしまいたい出来事です。
http://www.ursulakleguin.com/GedoSenkiResponse.html