7月10日(土)朝日新聞東京版朝刊「声」欄

三権分立 知った日の喜びどこへ   無職 渡邉亮(熊本県 83)

76年前の夏、終戦を迎えたとき、空襲を告げるサイレンの音に逃げ惑う恐怖から
解放された。この心からの安堵感は、今も忘れることができない。その後、学校で、
「民主主義は独立した『立法・行政・司法』の三権分立という制度によって支えられる」
と教わったときには、子供心にも新鮮な風が吹いてきたような大きな喜びを感じた
ものだった。

そして今、行政による公文書の隠蔽や改ざん・破棄、国会での虚偽答弁、政権による
検察・学術・放送への人事介入、数のみを頼みにした与党の姿勢などで、三権分立は
危機に瀕し、民主主義はズタズタにされてしまったように感じる。

そんな中、すでに声欄でも指摘される方がいたが、コロナ禍で五輪開催に突き進んで
いる現在の政府の姿は、かつての戦争を思い出させる。実行したい指導者たちが、
周囲の人間を利用して、実行ありきの状況を作り出し、突入。あとは抜き差しならなく
なるだけなのだ。

「責任は自分にある」と言いながら責任は取らず、「国民の安心・安全を」と言いつつ、
自らの周辺の五輪関係者の利便だけを考えているのではないか。そう疑ってしまう。
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何でもかんでも「かつての戦争」に結び付けですか。