>>688
(続き)

さてこのたび、首相のおかげで気づいたことがある。「議論すらしない」という批判は、
野党が与党に向けても「負け犬の遠吠え」としてほぼスルーされるが、与党が放つと、
野党を確実におとしめることができる。そのような非対称が生じるのは、この国の
民主主義の土俵がすでにゆがんでいるからだと言わざるを得ない。

議論は民主主義の根幹だ。しかし、議論を真に成立させるのは難しい。異なる意見や
価値観を、時間をかけてすり合わせ、何とか妥協点を見いだして折り合う。その意志と
行動を欠いていたら、どんなに言葉を重ねても、それは議論とは言えない。

どうだろう。この6年半、議論を軽視し、採決を強行し、時に憲法をも無視して、
土俵を使い物にならなくしてきたのは他ならぬ首相である。その当人に「議論しない
のは責任放棄」と挑発されること自体情けないが、そんなものに易々と乗って、
ゆがんだ土俵と知りつつ「上がらなきゃ」と腰を浮かせている人々は、よく言えば
お人よし、悪く言えば間抜けである。

まずは「議論」という言葉を奪い返し、熟議の土俵を作り直さなければ始まらない。
それは選挙の勝ち負けを超え、この国の民主主義をかけた闘いである。

準備はOK? しからば、共に進まん。

(終り)