>>619
(続き)

公示の前日、日本記者クラブでの党首討論会では、こんな一幕があった。

質問者がテーマごとに挙手で賛意を示すように求めた。選択制夫婦別姓制度などを
「認めるか」と問われて首相は手を挙げなかった。そして「単純化してショーみたいに
しないほうがいい。政治はイエスかノーかではない。あんまり印象操作するのはやめた
方がいい」と不快感を表した。ごもっとも。でも、それらは政権のいつもの手法では
なかったですか――とブーメランは返ってくるだろう。

「令和」の発表や米大統領訪日などでは、政治ショーめいた場面を随分見せられた
ものだ。数を恃んだイエスかノーかの採決強行には何度もため息をつかされてきた。
批判や疑問の追及に対して「印象操作だ」と言い返す印象操作は、首相周辺の
常套手段といっていい。

私感を述べれば、安倍首相は他人に指先を向けることが目につく人だ。

秋には歴代最長の総理大臣になろうという人にして、いまだに相手をさげすむことで
自身を誇るようなふるまいが止まぬのは不思議である。そうした人は往々に自分への
批判には敏感なものだ。ヤジを嫌っての選挙演説日程の非公表などは、その表れとも
言えるだろう。

見えてくるのは、首相には反対者をも含めて国を代表していく姿勢が乏しいことだ。
「自分の支持者、賛同者しか代表できない人間は、どれほど巨大な組織を率いていても
『権力を持つ私人』以上のものではない」と、思想家の内田樹さんが一般論として
述べていたのを思い出す。そうした狭量に権力全体が忖度して染まり、民主主義を
傷めているのが今の政治の光景ではないのだろうか。

(続く)