6月6日(水)朝日新聞東京版夕刊4面「あのとき/それから」

1969年(昭和44年) フォークゲリラ   社会に訴える歌 若者が共鳴

1969年5月、東京・新宿駅西口の地下広場を埋めた約3千人の歌声が響いた。
「ベトナムに平和を! 市民連合」(べ平連)の若者たちが毎週土曜夜、
フォークソングで反戦を呼びかける「フォークゲリラ」の集会だ。全共闘運動が
全国の大学を席巻し、70年に日米安保条約の自動延長が迫る中でのことだ。
ベ平連は、作家の小田実や哲学者の鶴見俊輔らが結成した市民運動組織。前年暮れ、
新宿駅東口のデモに大阪・梅田の地下街で反戦フォークを歌っていた若者たち数人が、
ギターを手に参加した。
フォークゲリラの歌姫と呼ばれた大木晴子さん(69)は「フォークを歌って歩いた時、
みんなの心が動いたんです」。仲間と大阪見学や歌集づくりなどで準備をし、69年
2月末、地下広場に立った。
60年代、米国から入ってきたフォークソングは公民権運動と深くつながっていた。
そのメッセージを色濃く受け取ったのが関西フォークだった。フォークゲリラが歌った
岡林信康さん作の「友よ」や、「受験生ブルース」の替え歌「機動隊ブルース」も元を
たどれば関西フォークだ。
「受験生ブルース」の作詞者でフォークシンガーの中川五郎さん(68)は「米国の
フォーク歌手ピート・シーガーが公民権運動や人種差別、ベトナム反戦の歌を歌った。
社会に疑問をぶつけ、抗議する。メッセージがあるから歌う。音楽の形式をぶち壊し、
新しいものをつくるのがフォークソングと思っていた」。
音楽評論家の富澤一誠さん(67)は「フォーク歌手の高石ともやさんがシーガーや
ボブ・ディランらの曲を訳して自分の歌で歌うと、岡林さんが好きなことを歌って
いいんだと触発されて歌を作る。抵抗の歌のプロテストフォークソングが生まれ、
学生運動と共鳴して盛り上がった」

(続く)