(続き)
冒頭で紹介したアーレントの著書は、副題が示唆するように、ユダヤ人虐殺が、関与
した諸個人のいかにくだらない、ありふれた動機を推進力に展開したかを描き出す。
出世欲、金銭欲、競争心、嫉妬、見栄、ちょっとした意地の悪さ、復讐心、各種の
(ときに変質的な)欲望。「ヒトラーの意志」は、そうした人間的な諸動機の隠れ蓑と
なった。私欲のない謹厳な官吏を自任したアイヒマンも、昇進への強い執着を持ち、
役得を大いに楽しんだという。
つまり、他人の意志を推察してこれを遂行する、そこに働くのは他人の意志だけでは
ないということだ。忖度による行動には、忖度する側の利己的な思惑――小さな悪――
がこっそり忍び込む。ナチスの関係者たちは残虐行為への関与について「ヒトラーの
意志」を理由にするが、それは彼らの動機の全てではなかった。様々な小さな
ありふれた悪が「ヒトラーの意志」を隠れ蓑に働き、そうした小さな悪が積み上がり、
巨大な悪のシステムが現実化した。それは忖度する側にも忖度される側にも全容の
見えないシステムだったろう。
(続く)