>>695
(続き)

「いつも怒っているんですね」。政治部に配属されてほどなく、国会内の食堂で
テレビ局の記者にさげすみの視線を送られたことを、私は今も忘れていない。
権力に怒るのは記者として当然だと思っていたから、いたく心外だった。

新聞はもうひとつの眼/欲望のせめぎあう巷にかくされた/かずかずの人間の劇を/
ときに笑いときに怒りときに涙し/それはみつめる
(谷川俊太郎「朝日とともに」)

26年前、入社面接のために初めて朝日新聞東京本社を訪れた時、飾ってあったこの
詩を見つけ、心を震わせた。

現下の日本では、怒りは忌避され、抑圧される。だけど怒りは、喜や哀や楽と同等に
事故を成り立たせている感情だから、たしなめられたり嗤われたりすると傷つき、
だからといって抑え込むと「私」が霧散して、いずれにしても、生きる気力がなえる。

それを熟知しているのか、現政権は怒りや異論に耳を貸さず、時に嘲笑し、圧倒的な
数の力でねじふせ、国会を、議論の場ではなく表決の場におとしめてきた。陰に陽に
発せられるメッセージは「抵抗しても無駄ですよ」。公文書を改ざんし、国会にうそを
つくという未曽有の事態はその延長にある。「国会に対する冒瀆だ」と憤ってみせて
いる与党だが、国会の権威をコツコツと掘り崩してきたのはいったい誰なのか。政治の
罪は深い。なのに責任をとろうとせず、居直り居座る政治家たち。なんとまあ美しい
国の見事な1億総活躍であろうか。

  (続く)