4月21日(金)朝日新聞東京版朝刊「声」欄

「共謀」問われた少年期の記憶   無職 石川勝司(埼玉県 89)

アフリカでの経験を踏まえテロ対策としての「共謀罪」を支持する、
という内容の投稿(18日)を読み、戦時中の体験を伝えたい。

1944(昭和19)年、旧制中学5年になった私は級友らと軍需工場に動員され、
入寮を命じられた。
食事は皿に薄く盛ったコーリャンか豆かすが混じった飯で、
とにかく腹が減って閉口した。

2週間ほど経ったころ、屋上で昼休み中、仲間20人ほどが1カ所に集まり、
一晩だけ帰宅の許可をもらって腹いっぱい飯を食ってこようという話になった。

その夕方、代表者7、8人で事務室に引率の先生を訪ねると、計画は既に筒抜けで、
開口一番「君たちは大変なことをしてくれた」としかられた。
「無届けの集会」「ストライキ」など五つほど挙げ、
「大罪だ。首謀者は誰だ」と問い詰められた。
奥で憲兵と私服の特高警察官が目を光らせ、先生の言動も監視されていたようだ。

屋上で話し合ったことがどう漏れたのか、今もってわからない。
何の悪気もない企ても、取り締まる側が危険分子の集団とみなせば、
大罪を負わされかねない。
そんな怖い時代に戻ってはならないと、強く思う。
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「過去にこういう事があったから、『共謀罪』が出来ると同じ事が起こる」だけでは、
根拠が希薄すぎる。