俺の人生、振り返ったら悲しくなってきた
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上がることはあってもこれ以上下がることはないんだから、
今よりほんの少しましを目指して生きていけばどうだろうか。 今が人生の底だと思えば、これ以上下がるとしても大体の当たりはつく。
上昇気流に乗るのは最初が一番きついんだとは思う。 少なくとも、あざらさんは、
これ以上下がることはない と言う事はないです。もちろん、何が下なのかって話もありますがそれはさておき。
もっと下がる人は下がります。でも、今を保っているのは、
あざらさんの実力です。人任せというのであれば、意図してかしなくてか、人を
利用するのに長けているということかも知れません。
人をりようして、利用されて、社会は成り立ってると思います。 もうさうち、 1/2の振り分けでの REGとBIG
もう、店変えても台変えても 30連続REGなんですが。
でもうちの人生の中で、20回連続BIGとか、ありえないんですが。
たまの連荘でも、REGなんで、まったくたまらないし、
期待値が云々とか言っても、その半分くらいしか出ないし、
まぁ、こういう人生を運命つけられた人もいるんdねす。 特別な事をする人はすばらしいのではなく 目立つ という事じゃないかって
思うんですが、すばらしい事とかもてはやす、売文屋が多い。っていいますか
そうでなければ、文章は売れないんですけどね。
食べて寝て仕事して。そして天寿を全うする。 そもそも人間に限らず、
種としての生命を全うするのが生物の目的じゃんって思います。だから”生”物じゃんて。
私は、俺は、生きたぞって、最後に思う事を目標として、どんな形でも
生きればいい、辛い事もあるけど、美味しい物とか、感動とか、アニメとか
小さくても楽しい事に心を向けられれば、それだけで今は大丈夫だと思います 一つの考えだけにこだわらないこと。
ダメモトと腹をくくることで見えてくるものもある。 あと自分を波に乗せる為には頭で考える前に大まかな流れをつかむこと。
身体を動かす中からしか課題は見えてこない。 生き方になにがしかの型を求めることは自分の強みでもあるが、
同時に刻々と変化していく世の中に対応しきれない縛りともなり得る。
行き詰まりを感じる前にゼロから再構築し直すのも悪くないかもしれない。 失敗を恐れないこと。失敗の中からしか自分のリズム・感覚はつかめない。
自分の輪郭はアップデートの繰り返しの中から立ち現れるものかもしれない。 「自分が自分であることを誇る」ことがやっぱり大事だよ。 そういうヤツが最後にしこる
各個人個人がしこる童貞 理屈は理屈、身体は身体。
最後は直感で動くもので、ごちゃごちゃ考えないこと。惑わせるようなことを言ってすまんね。
要は身体の動くにまかせるということ。頭を働かせるのは身体の流れをつかんだ上でのこと。 めんどくさい、生きる意味とか人生とはなんだとか生命の存在意義とか本当の自分とか。
止まるな走って考えろ 答えは後ろにはない。 貴方の価値は他人が決める。自分で自分を値踏みしたところで
相場ってもんは投資家個人できまるもんではない 無理なら無理でそれはしょうがないこと。
不完全な自分を受け入れつつ進んでいくしかない。 何とかしようと思わないこと。思ってどうにかなるのならとっくになっている。 それは、少なくとも思った事がある人が言う台詞です。 どうせ食べても おなかが減る。
そんなのわかっているけど、人は食べないと生きていけないんですよ。 野球選手に送った意見
真剣勝負だという緊張感はもちろん必要ですが、
同時にやることをやっても負ける時は負けるというさばけたあきらめも必要です。
飯を食うためにやってるんだというプロのプライドは、そういうドライな職業意識の上に宿るものだと思います。
どんなに自分の全ての力を出し切っても、勝つときは勝つし負ける時は負けます。
勝負にこだわらなくていいと言っているのではなく、戦いとは常にそういうものだということです。
勝負事で飯を食ってる全ての人間が肝に銘じておくべきことです。 勝負で飯を食べているわけデハアリマセンガ、
ほぼほぼ負けてますが。スロで。勝つときがほしいです。 注意すべきは一つの考えに捉われて、頭が体の流れを阻害してしまうこと。
頭は自分が気持ちよく闘いやすい態勢を整えることに使うもの。 勝ち組も負け組も死ぬことに変わりはない。
幸や不幸を墓の向こうに持っていけるわけではない。
であるなら与えられた条件をどう生きたかだけがその人間の価値を決めるのだろう。 もっていけるかもしれませんよ。
そもそも墓の向こうに行ったこと無いですし 勝つために必死にならなくていいと言っているのではなく、極限に自分を追い込むためには、
まず人生思い通りにばかりはいかないということを頭に叩き込んでおけということ。
現実に辛酸をなめつくしている人間が分かっているとは限らず、
分からないからこそ現実を受け入れられず、絶望へのプロセスから逃れられない者もいる。 これは誰もが分かっているようで中々分かっていないことに気づかないこと。
どんなに経験豊富な人間でも知らず知らず失敗を受け入れられない自分から逃れようと
さらに失敗を重ねる悪循環にはまることがある。
まずは人生は敗北から始まるという事実を受け入れること。そこから人生の挑戦が始まる。 敗北というからには勝敗の結果なのですが、敗北でも勝利でも始まりません。
勝敗は一人では決まりません、相手がいてこそです。
相手を見つけて勝負するんです。 勝負してから相手が現れるわけではありません。 一応念を押しておくと自分の行動のコントロールは飽くまで感覚で行うもの。
思えばなんでも叶うのなら誰も苦労はしない。 いくら緻密に計算してもその通りにことが進むとは限らない。
失敗や凡ミスを通してしかつかめない感覚というものもある。
人間はいい加減で大雑把なものだという認識に基づいた荒々しい闘争心も人間には必要。 人との争いを避ける人間が必ずしも他人に寛容とは限らない。
そういう人は争うことへの免疫ができていないから、些細なことで争いに巻き込まれる。
心のキャパシティを広げる為にはまず争いを否定しないこと。 若干訂正
争いを否定しない→争うことを否定しない
人は実際に人に迷惑をかけていかないと人の心の痛みも分からない。 思えば何でも叶う というのは、正しい。
叶うものだけ思えば良い。それが、自分の想像の限界だとしても、諦観の結果だとしても。
そもそも、なんでも叶う事は無いとしても、思わなければ叶う事が無いのも事実。
あたかも、トンネルから車が出てくるには、まずトンネルに車が入らないといけないが如く。
たとえ、暗くてもじめじめしてもガチムチマッチョのアニキの集団がすし詰めでも 上善は水のごとし。
水はよく万物を利して争わず衆人の恵む所に処る
すみっこのまりぃさん(・▽・) 自分がされて嫌なことは人にはしない、で人との軋轢を回避する人間は
人の心の痛みを頭で理解しているだけで、心の底では分かっていない。
自分の攻撃性を抑圧する人間にできるのは上っ面の共感だけで、
本気で情けをかけることはできない。 人生に確かな手ごたえを求めないこと。
押さえるべきを押さえたら、後は成り行きにまかせること。
状況のただなかに身を置いて、流れに身をゆだねることでしか見えないこともある。
大切なのは闘いに酔わないこと。 >>88 >>89
そんなことは成熟した大人なら身体感覚で覚え自然に行なっていることだ。
いちいち言葉にすると、自己啓発セミナーの胡散臭さが漂う。
却って安っぽく響くだけだ。
掲示板に羅列するなどナンセンス。 またさんの言。
全く持ってしかりとおもふ。
というか、相手の心の底が判らないとか、んなの当たり前じゃんってうちも思うですよ。それを聞いて、ああ凄い諦観だ達観だ神の視点だとか、感動するなら、
玄関から一歩外に出れば、髪の視点を持つ禿はうじゃうじゃいますがな。ちがった。人。
それを前提として、相手を、自分を取り巻く世界の一部として捉えてみたらいいじゃん。 どんな逆境でも心を折らないこと。勝ち味の鋭さより打たれ強さの方が余程重要。 その逆境の程度にもよるけどさ、心が折れたってしょうがねーだろ
そもそも、「どんな逆境でも心が折ら」れない奴って、超絶な鋼メンタルだから、
偉そうに打たれ強さに関して御託を垂れる意義は無いだろw 折れた所から芽吹く事もあるさ。枯れる事もあるけどさ。
心に潤いを絶やすかどうかはあんたしだい。他人のせいにするな。 失敗はその先に突き抜けるもの。委縮するためのものではない。 それを失敗のまま終わらせるか、経験として踏み台にするかは
あなたしだい 「突き抜ける」ってなんだよ。
失敗を教訓に工夫してやり直すのか、
それとも失敗しても同じ事を同じやり方でリソースぶち込んで押し通そうとするのか、
萎縮してやる気なくすのかどうかはまた別じゃね?
語彙が乏しくて、ワケワカンネw
少なくとも何の役にもたたんw
言葉の意味はよくわからんが、とにかくすごい自信だw
屁のつっぱりは いらんですよ 失敗したでも成功したでも、
振り返れよ って思います。犬でも猫でも、直前に食べた物が食い物かどうかって学習すると思う。
金魚とかは、なんでも口にするっぽいですけど。金魚ですか 自分を高めようと思うことは悪いことではないが、あまり根をつめると不完全であることを受け入れられなくなる。
努力するのは当然として、好調な自分をキープするためのメンテナンスぐらいに軽く考えること。 そう思って貴方自身が行動するなら、おそらくそれはあなたの自由です。ただ、
何の問題に対する解答なのかが、わかりません。 まとめると、修正や工夫と言った小手先のテクニックではなく、
自分の感覚をどこまで信頼して身を預けられるかということ。
それで駄目なら自分の力が及ばなかったというだけのこと。
スタイルの微調整はその後の話。 付け加えればモチベーションは自分の内部から掘り起こすもの。
外部に求めるものではない。 なんか、認知バイアスの陥穽に見事に嵌っていますね。 こういうことを続けることに嫌気がさした。大体のことはやった。
ただ、俺がただの統失の引きこもりに過ぎないということ、それに良い様に遊ばれていたに過ぎないということ。
後は自分の好きなように進んでくれ。 続けるか。
無駄を削ぎ落そうとしないこと。急がば回れと言う言葉もあるが、人生はそれをなくしたら何も残らない。
相手と呼吸を合わせるゆとりがあれば見えてくるものもあるだろう。
常に全力を意識せず、2割方の力を残しておくこと。厳しい局面だからこそあえて。退路をふさがないこと。 訂正
力を残す→気持ちを残す
全力を尽くすにせよ気持ちを入れすぎないこと たまに俺は本当に生身の人間なんだろうかと思わないでもない。
分からないし、分かったところでどうなるものでもない。
今のネット漬けの生活の縛りから抜け出し、現実にとび込むことができる時がくれば、
自ずと明らかになるだろう。 ネット漬け、現実に飛び込むって、おい・・・・
社会の接点から切れた引きこもりが、人生理解ったような格言書きなぐってたのか?
オメーに必要なのは他人に学ぶことだ。
何の経験の裏付けもない、空虚な自分自身の寝言を掲示板にひけらかすことじゃねーだろw なにも分かってはいない。分かったふりをしているだけだ。
そうと分かりつつも前に進むしかない。
前に進もう。 結局そういうこっちゃな。大層なこっちゃないねん。
あーめんどくさ。なにもかもめんどくさいわ。 もうすこし気楽にいってもいいんじゃないかな。あまり前のめりに生きてもしょうがないですよ。
色んなことがあります。 自分の心を守ろうとだけはすんなよ。
負ければ心は痛いし勝てばうれしい。
ここをごまかす人間はどんなに成功しても人としては失敗作。 ま、あんまり深く考え込まんこっちゃな。
大した生きもんやないで。 張りつめた心を緩ませること。目的に遊びを持たせること。 後は自分の攻撃性と向き合うだけ。肝心な時にそれを出せるかどうか。
簡単なことではないよ。 すでに他人を攻撃している自分自身に気がついていない
未熟さに呆れるばかりです。 自分の力の及ぶ限りは決して投げ出さないこと。
及ばない事態には前向きに受け入れ、無駄に力まないこと。 人間は基本的に身の丈を超えた生き方はできないが、
時には一か八かの博打をしてしまう生き物だということは押さえておく必要がある。
自分の感情に嘘はつけないということ。 知らず知らず細かなことに捉われて生きている心の縛りを解きほぐすこと。
余裕がある範囲で日々の生活のリズムから足を抜いてみるのも一つの選択肢。 最後は自分は自分、人は人。共感も温情もこのラインを明確に。 貴方みたいな似非宗教屋を気取る馬鹿をからかうのが好きなので
気を悪くしたらごめんなさいね。 目的を追求しすぎない。心に遊びを持たせてバランス感覚を整える。 どーなんやろ。ほんまにこれでええんやろか。よー分からん。
まあ大崩れさえせえへんかったらそれでええわ。 メンタルゆうんは強けりゃええゆうもんでもないからな。大崩れだけはせんように。 失敗は失敗。あるものとしてそこにあるもの。もう少し気持ちを入れていこう。 大事の前のプレッシャー・緊張感はついてまわるもの。あまり軽々と越えられても困る。 今まで言ってきたことを簡単にまとめると、
お前なんか全然大した人間ちゃうわ、あんま調子に乗んな、ってこと。 諦めなければ必ず夢はかなうとは俺は思てへんからな。
それでもやらなあかんけどな。
それだけ。 そういうもんなんだからしょうがない。
多分こういうことを延々と続けていくんだと思うよ。 それがなかったらもはや人とは言えん。人間は間違うもの。 社会的地位の高低に関わらず一人の人間の力など知れたもの。
それは安倍だろうが宮崎駿だろうが引きこもりの無職だろうが同じこと。
という認識に立って初めて自らの立場に応じた責任を自覚できる。
そういうことだ。 何かを否定する時だけやたら能力を発揮するのが今の日本人。
あらゆるモチベーションをそこにしか注げない。
もったいないよなあ。 どんな強い人間も最初から強いわけではない。
まずは自分の弱さを受け入れないと、先には進めない。 頭と体が完全に一致するというのは本来そんなに簡単なことじゃないってこと。
すり合わせる努力なしに楽には勝たせないよ。 予定調和っすなあ。
気持ちに揺らぎやムラ、それとの葛藤が全くないのは人として信用できん。 極論を恐れずに言うと、人生は一に拡大、二に成長、三四がなくて五に安定。
人生設計・生活防衛なんてもんは、いよいよ行きづまって生存の不安が現実のものとして
見えてきてからでも改めてゆっくり考えればいい。
人間とはそういうもの。 喜怒哀(苦)楽の感情が湧き起こるのは当たり前だが、後味を残さないこと。
クールとか冷静とかいう問題ではなく、感情に振り回されないとはそういうこと。 ざっくり噛み砕いて言うと、あらゆることに意味があるっちゅうこっちゃな。 人間には無限の可能性が眠っていると言った世迷い事を信じる程能天気ではない。
そんなものを心の支えにしなければ成り立たないモチベーションなどろくなもんじゃない。
まあそんなことを本気で信じ込んでいるのは一部の勝ち組だけだろうが、
なんとなくそういうものとして受け入れることで、容易く人生に絶望する凡人を量産しているのも事実。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています