保阪尚希
本当に喧嘩強いの?
強いというより
キレたらなにやらかすかわからない系じゃ? 喧嘩が強いってどこ情報?
腕相撲が強いとかいらんし 今はミニクーパーとバイクはトライアンフだけだよ。
多分。 確かに不良とかではないだろうな。境遇が顔に出てて心のなかにやばいもん抱えてる人。
味方にすると心強いかもしれない。でも敵に廻したり嫌われると、、、考えただけで恐ろしい。 喧嘩すると拳とか蹴りより
いきなりナイフや瓶持ち出しそう
生い立ちなのか?血筋なのかわからんが
両親は自殺って…複雑だな 一八はやっさんに溺愛されて育ったから全然蔭を感じないけど
保阪は本当に暗い悲惨な蔭を生涯背負ってる感じだな
だからといってどっちが強いかはわからんが 一八は極当たり前のように凄みながら相手のことを探るタイプ。だから隙だらけ。
保坂の場合は笑顔を見せながら相手の心中を探る人だな。
しかも的確。
どっちが本質的に怖いのかは・・・・ まあ庇うつもりはないが、保阪の執念深さは失いたくない恐怖感からくるものなんだろう。 めちゃくちゃ車持ってたけど
なんでお金あるの?バックがヤバイ? 元いじめらっこって節もある
どちらにせよ渋谷では有名な危ない人になったんだよな
不良とかとは違う いじめられっこが危ない奴になるなんてある話しだが。 いてこますっとかいう言葉、
コイツの口からしか聞いたことない。 あの一見さわやかな笑顔を見せながら「んだ、てめえ」と言いそうで怖い。 顔はニヤニヤ笑いながら目は切れて
相手をボコりそう >>28
パトロンとか黒い繋がりがあったんじゃない? 笑いながら何やら棒を振ってるから畑を耕してるかと思ったら木刀だったでごさる 仲間になると頼もしそう。
敵にまわすと厄介極まりない。
真木蔵人どこいった? 何だか伊勢谷友介と似た感じだが、伊勢谷が何等挫折知らずで芸能人生を渡ってるのに対して、こいつは挫折の連続ばかりだろ。 生きてる!!!
[保阪尚希]元義弟・本田泰人と「ダウンタウンDX」SP出演 高岡姉妹との結婚生活語る
http://news.mynavi.jp/news/2016/01/21/576/ 武田信玄、信長KINGOFZIPANG、葵徳川三代に出演されていた保阪さんの最近の露出を見掛けなくなりがちなのが残念です 木登り
最近保阪がバラエティ出まくってセレブアピールしてるけど結局は通販の宣伝だな みなしごで「矢吹ジョー」みたいな性格。
ただ矢吹と違い商才があtって経済ヤクザっぽい雰囲気。
木村一八はただの狂人であり集金力はない。 通販会社やばいからテレビ出てるんだろうな
あのバカっぷりで経営とかコンサルできるはずない なんでサンデーズなんて入っちゃったの
つまんなそうに踊ってたけど 一時期、テレビで通販番組宣伝しまくってセレブ生活公開してたけど一気に干されたな 生放送テレビショッピングのQVCにたまに出てるけど面白いw
テレビショッピングに興味ない人はぜひ見てほしい ショップチャンネルで見かけます
保阪流というブランド商品は売れてるんでしょうね なんかYouTubeライブに出てるね
よー喋る人やね 若い頃の保阪尚希さんは
Duran Duranの
サイモン・ルボンに少し雰囲気似ていた イケメンだけど俺様がすぎる
でもモテるよなこういう奴は >>75
>「保阪さんは7歳で両親が自殺し、当時2歳だった妹とともに壮絶な少年時代を送っています。引き取った
>祖母も脳出血で半身不随になってしまったとき、親戚から『あんたが迷惑かけるから』などと酷い言葉を
>投げかけられたりしたとか。そんな逆境のなか『自分のことはすべてやっていく』と誓い、小学生の頃から
>働きはじめ、中学卒業までに100万円を貯金し、このうち70万円を祖母と妹に渡し、残りの30万円を持って上京。
立派すぎる
最近「親ガチャ」という言葉が最近流行ってるけど
親のせいにする甘ったれた奴らは保阪尚希の姿勢を見習えと言いたい 今とは時代観は違うだろうね
今は自分こそが被害者で周りのせいにする奴ばかりだろう
物の本質さて置いて自分のしていることが
間違っていることを認めない受け入れないための言い訳してる奴多いな サラリーマンだった父、主婦だった母、4歳下の妹、祖母の5人暮らし。保阪は「すごい教育ママだった」母親のもと、英語、ピアノ、エレクトーン、そろばん、習字、器械体操など多くの習い事をし、幸せに暮らしていた。しかし、7歳の誕生日を迎えた3日後の1974年12月14日、両親が自ら命を絶った。メディアでは無理心中などと報じられた。
いつもは両親、保阪が2階で寝ていたが、その日だけは、父親から「尚希はきょうはおばあちゃんの部屋(1階)で寝なさい」と言われたという。翌朝、目が覚めると、玄関に「同じ革靴がぶわーっと脱ぎ捨てられてて」と多数の警官が自宅に駆け付けており、祖母が質問攻めにあっていたという。
保阪と当時2歳半だった妹は、親戚のおじ宅に連れていかれたが、「何も分からない。急すぎて。(当日の)記憶がないんです」「記憶を消したのか覚えてないのか、そこだけ記憶が断片的なんです」と振り返った。葬儀の後、保阪は「1人で生きていく」と誓ったという。
その後、祖母との3人暮らしが始まり、保阪は極力、祖母に迷惑をかけまいと、料理、家事を自分でやっていたという。しかし、両親の死から2年後、9歳の時に祖母が脳いっ血で倒れ、半身不随になってしまう。
その時、いち早く駆けつけた叔母が発したのが「あんたが迷惑かけるからよ」という非情な言葉だった。わずか9歳だった保阪だったが、この時、「1日でも早く自立する、1円でも稼ぐ仕事をする」と誓ったことなどを明かした。