創価学会理論では、善いことが起きても悪いことが起きても
基本的には結果論でしかない
創価学会的に都合の悪いことをすれば「いつか悪いことが起こる」とするけど
これは来世とかも含めた誰も確認できない「いつか」であり
創価学会的に善いことをしている人たちの自己満足でしかないように感じる
逆に創価学会的に善いことをすれば善いことがあるというのも
同じような理屈で、これにより脅迫するだけ
体験談の発表だって、何かをする前に誰にするか決めるのではなくて
何か善いことがあった人から選ぶ、結果論が前提で
信心をしている人としてない人で同じような挑戦をして
それにより結果がどうなるかの対照実験は怖くて出来ないだろう

根本的に創価学会の人しか幸福にならない理屈なので
外部の人が幸福だと理論的に破綻してしまうため
外部の人がそうならないように思ってしまい
場合によっては不幸を願ってしまう
そんな宗教をしている時点で不幸だと思う