創価学会員や法華講員が、信心をしていない一般人に対して
あたかも自分たちが優れた人間であるかのような、
常に上から目線で語りたがる原因は
日蓮の受持即観心という妄想教義のせいである

「この題目を唱える者は、それだけで仏界が湧いている」
「この御本尊を持つ者は、地涌の菩薩で選ばれし者だ」
「他宗を信じている人々は憎むべき謗法の徒であり、破折して改心させてやることが慈悲だ」

などと頭から信じ込んでいるのは、
もとはといえば日蓮が、自身は上行菩薩の再誕であるなどという狂気の増上慢に陥り
歪みに歪んだ日蓮教義を後世に残したせいである

その日蓮教義をさらに歪ませた正宗教義と創価教義
学会員や法華講員は、自分たちが救世の革命家ででもあるかのように優越感に浸っていることが多いが、
実際には彼らの大半は無教養で、品性が低く、非常識な人間であり
優れた人間性など微塵も望めないのである