>>765
次に禅の法門は何としても物に著する所を離れよと教へたる法門にて有るなり。
さと云へば其れは情なり、かうと云ふも其れも情なり。
あなたこなたへすべり、とゞまらぬ法門にて候なり。
夫を責むべき様は、他人の情に著したらん計りをば沙汰して、己が情量に著し封ぜらる所をば知らざるなり。
云ふべき様は、御辺は人の情計りをば責むれども、御辺情を情と執したる情をばなど離れ得ぬぞと反詰すべきなり。
(諸宗問答抄、平成新編日蓮大聖人御書35頁)

あんたは他人が日蓮大聖人の教えに執着していることを批判しているが、そう言う自分はなぜ禅宗に執着する気持ちから逃れられないのか?
禅宗にこだわるその気持ちも「執着」だろう
自語相違も甚だしい