創価学会を悪い面だけで語っていはいけない。
山口組が警察庁、国家公安委員会対策として分派にセグメント化した。
創価学会もこれからは経済団体、政治団体として新しい時代を迎える。
今しばらくは期待をして様子を見てみよう。

今までの池田教原理主義という宗教団体としては斜陽にはなるだろうが
宗教的信条というものは個々人の信教の自由に基づいている訳で
日蓮御書における法華経解釈からの創価学会池田教による法華経解釈自体
持ち続けたい人は、そのまま持ち続けても良いし
また新たな仏法や宗教を1人で逍遥るも良し、たとえば
(原始仏教やチベット密教や他の大乗仏教でも、それこそジーザスキャンプでもサイエントロジーでもスパゲティモンスター教会でも何でも良い)
宗教という物自体を捨ててしまうのも良しなのだと思う。

大切な事は今までの文脈を後生大切に論題に不全を招き
今後の日本国に寄与、参画する創価学会と公明党を安易に批難する事の
無意味さを認識する事だ。
私達は過去には生きていない。
私達は現在に生きているのだ。

謝罪と賠償を要求する人達は、理論武装と明確なる論拠と証拠を呈し
大方のコンセンサスを得る事に努力をしなければ(社会活動としてのコンセンサス。で、それは告げ口外交という卑怯な手段であってはならない)
誰も耳を貸さない。