それより一番仏教的な解釈を再考してしまうのは
奥さんが本来存在しない箱を持って来て
創価友人に預ける所、そしてその友人は何故箱を開けなかったのか?
その友人は一旦は電車の中に捨てて来たのに、届けて来てくれた少女に
「そうだった、これは僕の所有物だ」と何故言ったのだろう?

もしも書き手が(恐らく確信してだろうが)空と縁起を熟知しているのなら
初めから空と縁起の構造ありきで書かれた体験談なのか?
書いているうちに空と縁起の仏法の不思議さ深遠さ気付いて書かれた体験談なのか?