創価もアンチも見てて同じなんだよ。

創価は広宣流布という妄想。
創価アンチは、創価の分裂という妄想。

創価もアンチも、どちらも自分の願望を、広宣流布や創価の分裂として心に投影しているという自覚があれば問題ない。
願望の投影というのは、つまり、妄想の可能性を多分に含んでいるわけ。

でも創価もアンチも、この妄想をしっかり分析せずに、必ず起こる真実としてでっち上げてしまう。
まぁ、これがカルトが信者を騙すためにやっている手口なんだけどね。
信者に平和という夢や願望を見させて、その夢の実現がさも可能なように信者の心を操作して、カルト組織の奴隷として利用する。

自分にとっては、アンチにこうはなってもらいたくない。
自分の創価崩壊の願望が、真実以外の何物でもないと妄想することをやめること。
自分の願望は、あくまで願望でしかないと自覚すること。

学会員とは、この自覚をする勇気がないから創価をやめられない。
学会員は、広宣流布が自分達の平和願望から生まれた妄想であるという事実を受け入れる勇気がない。
だから創価をやめられない。

創価をやめたらやめたで、アンチになれば今度は創価の崩壊を願望して創価分裂の妄想を抱いてしまう。
いずれも、自分が正義や救世主となって悪をやっつける願望が行動となって現れるメサイアコンプレックスの症状。