学会員は法華経の行者になりきっているからね。

活動家に関して言うと、妨害されたり弾圧されればされるほど、自分を日蓮や池田に重ね合わせて、池田や日蓮が受けた法難と同じとして自己の地涌菩薩の証しに変えてしまう。

外部から見れば基地害以外の何物でもないが、活動家本人にとってはこれが最上の生き方であり、非難されればされるほど増し続ける信仰の確信。
ただ、今、なぜこういった活動家の信念が揺らぎ始めているかと言うと、公明党の政策が日蓮思想や法華経の行者の信念と相容れなくなってきているから。

自腹活動や池田の不在など活動家にとって痛くも痒くもない。
なぜなら、活動家は自分の命を池田や学会組織に捧げることを地涌菩薩としての誉れとして感じているから。
しかし活動家は、池田先生の信念と一致しないことをやれと言われると、活動家の強盛な信仰心にも葛藤が生じ始める。

この活動家の心理的葛藤は自公連立以降からずっとありはするが、それは微少なものだった。
しかし自公連立が長引いて、さすがに活動家さえ公明党と師匠との方針の解離に気づきはじめてしまっている。
この公明党と師匠の解離の距離が、活動家の心理の葛藤の度合いに比例している。

活動家の活動離れの要因は、殆どがこの己の法華経の行者、池田の弟子としての信念の維持が難しくなっているところ。
他に功徳とか偽本尊とかの争点があったりするけど、功徳や本尊にしがみつく連中はとっくに創価以外に移っている。
今でも残っている会員は、池田が8年不在でも池田を信じ続けられる池田原理主義傾向が強い連中。

創価学会の会員維持の鍵は、自公連立と池田や日蓮の法華経の行者としての姿を矛盾なく整合性を合わせる努力。

ここら辺は、アンチがいくら創価を外面的に批判しても全くポイントがずれていて批判の効果が見込めないところ。
もし学会の崩壊があるとしたら、それは外面からではなく内面。
自公連立と池田や日蓮の法華経の行者としての整合性など、学会本部が活動家の信念と行動の合致努力を放棄するところから崩壊が始まる。