人生の本質を理解することは難しい。

それは理論が難しいとか言葉が難しいというのではない。
難しい原因は、従来の考え方の土台を放棄して、新たな考え方のp土台を作り直さないといけないからです。

世の常識では、物事は勝手に自分の手の届かないところで起こっています。
だから、悪いことが起きればあれのせい誰のせい自分のせい。
困ったり悪い出来事に翻弄されないように、保険に入ったりお金を貯めたり正しい対処方法を身に付けたり自分を責めなければいけないということになってしまう。

しかし実際は正反対です。
物事は自分や自分の所属するソウルグループ、究極的には人類の共同意識が物事を起こしています。
だから偶然はない。
全ては必然。
悪い出来事も正しい出来事もない。
それらは人類の共通意識がスーパーコンピューターよりも正確に作り出した、人類全体の意思を平等に叶えるための宇宙史というシナリオです。
これがありのまま、あるがままです。

そうすると、自分を守るためにする必要のあることなどありません。
確かに肉体は傷つけられるように見えることもある。
しかし魂は永遠。
人間の肉体とは、人生というシナリオを演じる為の役作りであり、永遠には存在しない一過性のもの。

自分は肉体ではなく、それは一過性の役であり、自分の本質は演じられる役を全て包括する永遠不滅の総合舞台と知る事が、新たな思考の土台の作成となります。

この土台の作成は、今まで拠り所としていた正邪という逃避先は邪魔になります。
この土台の作成は、正邪の先にあります。
自我が作り出したあらゆる価値観や条件付けの放棄が新たな土台の作成に必要であり、これはあらゆる人生の困難の中で、最も困難な作業と言えるかもしれません。

なぜなら、これが解脱に向かってあらゆる事を成し遂げた後に残る、最終的に立ちはだかる自分の思い込みという最難関の関門だからです。