>私の異議の部分ですが、実際はこの宇宙という相対世界を神は創っていないというのが私の本心です。
>そして、相対経験というあらゆる分割を体験する事ができるのは、二元世界を作り出している自我のみです。
>だから、正義や邪、善と悪という相対観は神や仏に属することが出来ません、

ノンデュアリティからの考え方はそうですよね。アニメ「君の名は」の大ヒット以降ノンデュアリティを考える人は多くなりましたが
実は1991年に数学者のグレゴリー・チャイティンが不確実性定理を用いて
神が存在しない事を関数で証明してしまいました。当時は話題騒然でしたが
合衆国の政治力を持つ某宗派キリスト系協会の圧力によりwikipediaから、その部分が削除されてしまいました。
今でも「グレゴリー・チャイティン神の存在」と検索すると詳しく数式と説明にたどり着けますよ。

私が言いたのは、今まで何人もの学者達が縁起や非二元や神の不在や一無位の真人を
何度も説明し、量子力学や数学において仮説を論証出来るだけの数式まで発表して来ました。
しかし、誰がそれを気にしたでしょう?
貴方の仰りたい事はそれではありませんか?
実は自分もその事を仲間の学会員に教えたいんです。
でも、みんな「聞いても聞かないフリ」をして何も語りません。
彼らに語れるのはせいぜい「そんな難しい話をされても、、、、」
「もっと優しい言葉で語って下さい」
「トインビー博士はどうのこうの、、、」
ぐらいの物です。
知性的な人の眼差しは、私は個人的に大好きです。
しかし私達以外の「考えない人」達には興味が無く、更に悪い事に敵意さえ持たれてしまいます。

それって、本当の信心なのでしょうか?

創価学会員への啓蒙に燃える学会3世より。