「過去の因を知らんと欲せば、其の現在の果を見よ」日蓮は、この文を『心地観経』のものとしていますが、『心地観経』に、この文は有りません。
『法苑珠林』という中国の唐の時代に書かれた仏教百科事典の中には、
経言 欲知過去因 当観現在果とあり、
https://kotobank.jp/word/%E6%B3%95%E8%8B%91%E7%8F%A0%E6%9E%97-131813
そこには、経言となっていて経名は書かれていません。

しかし、日本の『平家物語』に、日蓮が『心地観経』の文としたのと同じ文「欲知過去因 見其現在果」があります。
http://singetu.ddo.jp/heike_monogatari/oohara_gokou/04.htm
しかし、経名は『心地観経』ではなく『因果経』となっています。すなわち『過去現在因果経』です。もしかしたら『善悪因果経』かも知れません。

 この日蓮の間違いを日蓮正宗は、どのように説明するのかと思ったら、

(註) 『大乗本生心地観経』巻第三「報恩品」第二之下の文の取意。

と説明していました。
http://www.myokoji.jp/page/menu_3/Kowa/4-5.htm

 業について、『ブリハッド・アーラヌヤカ・ウパニシャッド』に、

 それはその拠りどころとしていた人間の行為に従い、行動に従って、その通りになります。
(中略)
福徳ある人は福徳の業によって生じ、悪人は悪業によって生ずるのであります。
(中略)
その行為をなすとき、その行為に相応した果を得るのです。(ちくま学芸文庫 岩本裕翻訳 『原典訳 ウパニシャッド』272頁 )