同じ種種御振舞御書から、月天(月の神)を八幡大菩薩と同様に叱責したという部分

 其の夜は十三日・兵士ども数十人・坊の辺り並びに大庭になみゐて候いき、
九月十三日の夜なれば月・大に・はれてありしに夜中に大庭に立ち出でて月に向ひ奉りて・
自我偈少少よみ奉り諸宗の勝劣・法華経の文あらあら申して
抑今の月天は法華経の御座に列りまします名月天子ぞかし、
宝塔品にして仏勅をうけ給い嘱累品にして仏に頂をなでられまいらせ
「世尊の勅の如く当に具に奉行すべし」と誓状をたてし天ぞかし、
仏前の誓は日蓮なくば虚くてこそをはすべけれ、
今かかる事出来せばいそぎ悦びをなして法華経の行者にも・かはり仏勅をも・
はたして誓言のしるしをばとげさせ給うべし、
いかに今しるしのなきは不思議に候ものかな、
何なる事も国になくしては鎌倉へもかへらんとも思はず、
しるしこそなくとも・うれしがをにて澄渡らせ給うはいかに、
大集経には「日月明を現ぜず」ととかれ、仁王経には「日月度を失う」とかかれ、
最勝王経には「三十三天各瞋恨を生ず」とこそ見え侍るに・
いかに月天いかに月天とせめしかば、
其のしるしにや天より明星の如くなる大星下りて前の梅の木の枝に・
かかりてありしかば・もののふども皆えんより・
とびをり或は大庭にひれふし或は家のうしろへにげぬ、
やがて即ち天かきくもりて大風吹き来りて江の島のなるとて
空のひびく事・大なるつづみを打つがごとし。