>>542
(お手紙には)北方の能化が
「(日蓮御坊は)法華経以前の諸経は未顕真実であるとして捨てながら、安国論で爾前の経を引き文証としているのは自語相違である」
と非難しているとの事、これは前々にも申したとおりである。
 およそ釈尊の一代聖教を大略二分することができる。
一つには大綱、二つには網目である。
初めの大綱とは成仏得道の教えであり、成仏の教とは法華経である。
つぎに網目とは法華経已前の諸経であり、それらの諸経は不成仏の教えである。
たとえ文言のなかに成仏得道を説いていてもそれは名字ばかりで、その実義は法華経にあるのである。
伝教大師の決権実論には「仏の方便の説には唯名のみ説いて実義がない」といわれている。
ただし爾前権教においても成仏得道の外は説かれた教えに偽りはない。
法華経のための網目として説かれたものであるゆえである。
すなわち成仏の大綱を法華経に説き、そのほかの網目は諸経に明かしたのである。
法華経のための網目であるゆえに法華経を証する文として引き用いることができるのである。
そのうえ、法華経において実義があらわされることを、爾前経で名字だけを説いたのはまったく法華経のためであるから、なおのこと法華経の証文となるのである。
(日蓮大聖人の著作『観心本尊得意抄』の現代語訳より抜粋)

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