>>18
この「屋戸野」の当て字も、幕府提出が作り話の証拠とおも。

57・・
58・・1260文応元年以前には、安国論の記述はない。
59・・
1260年7月・・安国論を幕府に提出(と御書にある)。
1261・・・
62・・・
63・・・
64・・・ここも八年間、安国論については記述がない。
65・・・
66・・・
67・・・
1268年1月18日 蒙古より国書届く。
・・・
同年4月5日 「屋戸野」入道御書の御勘由来。
・・・

※これは幕府提出に関する御書の記述が、
初出の御勘由来「屋戸野」だけを別にすれば、2通目からは、
すべて以下の三点セットに統一されてるわけで、

1260文応元年 → 宿屋入道にあずけ → 最明寺殿に上奏。

「宿屋」を「屋戸野」と当て字にしてるのは意味不明だけど、
でも二通目以降はすべて正しく表記されてることからして、
御勘由来の当て字はこの時、正しい漢字をまだ知らなかった・・、

とすれば、文応元年に安国論の幕府提出してから八年も立ってる1268年、
まだ正しい「宿屋」の漢字を書けないわけで、
それは文応元年の幕府提出が、作り話だからじゃないのか?