>>829
>>830
ならば、創価学会も自分が選んだのだから創価に恨みつらみもなかろう。
創価に何を求める?
一時はその教えやコミュニティに救われたのならそれで十分では?

シニフィエのナリスマシを擁護するのは、翻って考えると創価学会の存在を認めることになると思うけど、それでもいいのか?
多少の問題はあるかもしれないが、その役割を果たしてるならそれで良し!みたいな。
創価だって誰かにとっては宗教として役割は果たしている、被害者や犠牲者もいるけどねって話だよな。