本仏の証明なら、法華経の中にある
そもそも、なぜ日蓮大聖人が「上行菩薩の化身」と呼ばれるのか?
それは法華経の中で釈迦の死後に法華経を布教する役目を託された、いわゆる「地涌の菩薩」のリーダーが上行菩薩だからだ
@「地涌の菩薩」の登場時に、「地涌の菩薩」の姿が釈迦よりも立派なので釈迦の弟子たちが驚く場面がある
Aこの「地涌の菩薩」は仏の身体的特徴である三十二相を備えていることが明記されている
上記@Aは、釈迦の死後に法華経を弘める者は釈迦よりも尊い存在であり、仏であることを表している
これは>>598に引用した法華経の中の別の文章の趣旨と一致する
そもそも、釈迦が末法の本仏であるならば、この「地涌の菩薩」に法華経を弘めることを託す理由がない
法華経第16章(如来寿量品)で「自分は永遠にこの世に存在している」と釈迦自身が言っているのだから、釈迦が末法の本仏なら釈迦が自分で法華経を弘めればいいだけの話
釈迦が末法の本仏なら、これらの法華経の内容がまるで意味不明になる

はい、論破