>>431
同じことを繰り返す以上、同じことで応答する。一言でアタシはすべてテレ朝の勝ちと考えるいえば済みそうなレスだが。。。

NHK版を好む立場からは、テレ朝版は澪と野江とが再会するまでの道のりが安易すぎる。
北川澪は、雲外蒼天の文字を見るや澪ちゃーんと吉原に駆けつけてさしたる障壁もなくあっという間に「再会」できた。
これでは両者の間に聳える高いハードル(身分・空間・心理)が無きに等しい。
一方本作では、両者を近づけるアイテムとして鱧料理がセットされ、そこに又次と源斎が綿密な手引きをして
心理的距離(顔を合わせられない)にも配慮した「再会」がようやく実現した。
そこでの再会は八朔でのどさくさ紛れの「顔を見せた再会」ではなく、障子越しでの再会でなければならず、しかも
そこで両者は1対1の心の対話をしなければならなかった。
Pが巧みに2つのエピを融合させていると述べたのは、このアレンジのことを指すのだろう。この融合によって説得力は段違いのものとなった。
つまり「鱧料理という千載一遇のチャンスを得て(これも源斎のアシスト〜テレ朝版はなんとキーマン源斎を省略)空間的に接近した両者は、
ついに障子越しでの「再会」を果たし心の対話を行い、未来の本当の再会を約束した」のである。
これまでのドラマが展開してきた内在的論理からは(雲外蒼天・旭日昇天のやり取り以来、両者は離れたところで「会話」し続けてきた)、
漫然と澪が吉原に駆けつけ容易に再会することはできず、しかも最初の再会がどさくさ紛れで(心の)会話の無い瞬間的な顔見せ再会であることはありえない。
こうしたファーストステップからは、パート2ではセカンドステップとして、ハレの日において両者が顔を見せて再会するシーンが期待できる。

もう一つ両者の「距離」について例を挙げると、又次を挟んだ両者の関係性描写において青梅蜜煮が果たした機能という面からも、
密度の点で大きな差があった(テレ朝版は、蜜煮を欲しいというだけで澪は「何かあったんですか?」と心配し、それに対して又次はいとも簡単に
実は刺されてしまったんだ、と答えた。本作の蜜煮を利用した緻密な作劇については各自確認されたい〜テーマ=う尽くしにも加えられた)。